リトマス本、かな。「フューチャリスト宣言」


留学も駐在の経験もないから、どれぐらいかは分からないけれど、対談している二人は日本以外の世界を(肌の感覚として)知っているんだろうなぁ。で一人は外から、一人は中から二つの世界に橋を架けようとしているようにみえてくる。そのためには、まず違いがあることを示さなくちゃいけないだろうからその事例がいろいろ挙げられてる。でも決して外を礼賛したり中を卑下するのが狙いなんじゃなくて、両者を止揚しようとしてるんじゃないかと思うのだ。ある種青臭いけど(そんな枕詞はどうでもよく)、個人の可能性を信じよう!と。これぐらいすっぱり言われちゃうと気持ちがいいくらいなのだ。あは。


自分の”資源”の使い方、具体的には、”怒り(というエネルギー)を創造性に結びつける”という言い方がされてる辺りは、耳が痛い。まず、そういうふうにコトバに出来ていること、そして実践している(ようにみえる)こと。まぁ実際はどっちでもいいんだけど、自分じゃどっちも出来てなかった。何に対して”怒り”を向けるのかで随分違いがあるのかもしれない。その場ですっきりしたように思っても、結局何にも変わっていないことも数知れずからなぁ。うぅ。


それにしても対談本って、なんだか面白いし読みやすいな〜って思う。特に最近。ひょっとしたら本の中でも対談ものは、ブログに近いんじゃないか。その人の考えることを、そう考えるに至った経過やきっかけなども含めて話していくものね。あ、この”話している”みたいな感覚もそう思う理由になっているかもしれない。いろんなことが、まるでライブのようにコトバになってその場で生まれてくるようにもみえるから。例えば、「本は(雑誌や新聞と違って)ネットの海に錨を下ろすポイントになるんじゃないか」っていうくだりとか。


一番印象的だったのは、この本を読んでいる途中で毎日毎日夢中でSF読んでいた頃が脳裏に蘇ってきたこと。当時周囲の友人たちがどんなものを読んでいる等々は全く意識せず、ただひたすら学校の帰りに本屋に行き文庫本を買って帰った。電車の中でベッドの中で、そこに書かれているコトバから、浮かぶ世界にワクワクしながらページをめくった。でも実はそれって、自分の想像力を鍛えていたり、試されていたような気もするのだ。自分は、この本のページを繰りながらそんな気持ちが湧いてくるか、それとも冷静に一冊の本として評するのか。まるでリトマス紙の色が変わるかどうかを試しているみたいだな〜と思いながらながら、読み終えた。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)