新旧デジカメの比較


一体何時から5月6日は休みになったんだろ(^_^;)。。。去年はカレンダーを見返すと日曜日だったし全く気がつかなかったなぁ。などと思いながら、突然デジカメを買いました(Finepix F100fd、右)。今まで使ってたヤツ(Xacti C1、左)はフィルムカメラのころにはできなかった片手での扱い方ができたり、ローアングルでキノコを傘の下から撮れたりと特徴があって、なかなか気に入ってるんですが暗いところに弱いんですね。薄暗いレストランではもうダメ。夜桜もほとんどアウト。丸4年使ってる間にずいぶんデジカメも賢くなってる。でも、外観デザインだけは、どんどんコンサバになってる。



インクルーシブ・デザインという考え方・作り方を知ったのは一昨年ぐらいだったか。例えばセロテープは普段意識せずに使ってるけれど、利き手の指先に絆創膏をしている時にテープ本体に巻き付いちゃった使いかけの部分を起こそう…なんてことは至難の業。でも腕をケガしてギプスをはめている人とか細かい作業がしにくくなっている人からすると、それは日常的な出来事になる。そんな時に、細かい作業が苦手な人のために現在のテープの形状を改良して…なんてことはありそうなこと。でも、今のままで困らない人にも困る人、どちらにもいい新しいデザインができたら、そっちのほうがいい。それにはどちらかの立場からもう一方の立場のことを考えちゃいけない訳で、両者にとってより使いやすいものを白紙の状態から描くのだそうだ。まぁ他の考え方もありそうだけど、そうやってできた新しいものが、以前のものよりも生産性が悪くてコストが高くなっちゃったり、売れ行き減っちゃだめだよね!ということまで掲げてるのはちょっと感心した。
そのためには、普段当たり前過ぎて意識できなくなってることを、まな板に乗せなくちゃいけない。そこで、登場するのが"極端な"ユーザー。テープの例だったら例えば視力も弱ってしまった人とか子供とかかな。そういうユーザーの使い方を見たり話しを聞いたりしながら、改めて本当の課題がどこにあるのかを見つけていく。。。


手元にある新旧デジカメは、まさにそんなことを思い出すのにぴったりなぐらい距離が離れていた。今まで使っていたのはピストル型、かたや今回買ったのは昔ながらのトラディショナル。デジカメ売り場に行くと並んでるのはほとんど全てが後者のタイプうぅ。携帯電話売り場みたいな状況。さて、F100fdを使ってみて、改めて今までの使ってきた方のどこが良かったのかがわかった。いや、実際に使ってる時は意識しなかったのだ(^_^;)。確かに、"極端な"対象と比べるということに意味はあるもんだ。具体的には、

  • カバンの中のからデジカメを撮り出して撮影するまでの素早さ

 F100fdは撮り出してから撮影までに持ち替えないとダメ。つまり撮り出す時のカメラの掴み方と撮る時のそれが違う。これは縦位置で撮る時も同じ。スイッチオンからの起動時間だけで比べちゃ不十分なんですねぇ。。。

  • 持ち歩いている時に液晶画面を気にしなくてもいい

 折り畳まれてるから大丈夫。これも意外だった点で全く意識してませんでしたねぇ。F100fdは保護フィルムを買っちゃいました。

  • 手で持って歩く時の安心感が高い

 桜並木を歩いている時などは、いつでも撮れるように手で持って歩きます。こんな時、XactiC1はコップを握るような感じに近くて不安は感じないし、指じゃなくて掌でホールドできてそのまま撮影にも移れる。グリップになるものをつけちゃおうかと思案中の、F100fd。

  • 誰かに撮影をお願いする時には相手の人が戸惑う、ブレやすいのはXactiC1

 ただまぁ、これは慣れで解決できることでもあるけどね、実際そうだったし。


でも、やっぱり予想通り写りは違うなぁ。。。滑らかでより自然な色。暗い場所での撮影に関しても予想通り、F100fdの方が格段に優れてる。ISO800相当の感度が常用できるから、大ざっぱに言えば「写るンです」と近いレベルだと考えていいんだろうし。明るすぎたりすることの補正がやりにくかったりというのは、いろんなブログにでていた通りですね。フルオート中心のカメラだから…という考え方は理解できるけれど、だから調整がやりにいというのは操作系のデザインを途中で検討止めちゃったような(爆)練れてない印象。ぜひちょっといじりたい人もインクルードして欲しいなぁ。デジタル一眼レフの方は考えてると思いますもの。


とまぁデジカメ同士で比べたけれど、ビデオカメラの形状や持ち方はまた違うし、携帯に付いてるカメラを使う時も、まあ違う。いろいろあるけれど、手に持って狙いを定めて…というものは他にもある。理想的なカタチを求めるためにはそういうものも"極端な"対象として検討することになるのだろうなぁ。いずれにしても、フィルムを使うということからくる制約の中でデザインされていたトラディショナルな形状や使い勝手が、その制約が外れた時に引き継がれたままというのは、単純に寂しいのでありまする。