シンプルさで多様を表す@バレエ・フォー・ライフ(ベジャール・バレエ団日本公演)


年に数回バレエを楽しむようになりました。けれど、いまだに背景や調べ事もせず自分の感覚に任せての…です。さて今回(6月13日)はベジャール・バレエ。ずいぶん昔にシルビィ・ギエムボレロを見る機会があって以来。バレエといえばストーリーのあるものだと思っていたので違和感がありましたけれど、みているうちにそんなものはすっ飛んでました。踊りが素晴らしかったのはもちろんですけれど、同時に赤い丸い舞台が妙に印象に残ってます。


バレエ・フォー・ライフでも、色や形のインパクトは健在です。ベースは、白。生まれる時、命つきる時は白い布に包まれてみな同じように。でもその間の人生は、ダンサーの少しずつ違う衣装の形やアクセントとしてはいっている黒のデザインが違うことで表現されるようにみな違う。そして対照として使われている黒(…黒を纏ったジル・ロマンというダンサーは、気迫を発し集中力を途切らせず、全体を引き締めていたように思います)。さらにグレー、黄色に赤がアクセントのように登場します。これらがあるときは制服のように条件を揃えたり、個性を浮き上がらせたり…と変化する構成はなかなかに面白い、だけではなく、よくこういう表現を考えるものだと感心しきり。交響曲を作曲する人のやり方というのも想像つかないんですが、故ベジャール氏がどのように全体の俯瞰と細部の作り込みをしていったのか驚くばかり。


実は、幕が開いてしばらくは「バレエってなんだろう?ダンスと何が違うんだっけ?」なんてことが、頭にちらちらありました。でもクイーンの曲!とともに次々と目の前で繰り広げられる色の踊りをみていると、「あぁこういうカタチもありなんだな」と。逆にバレエという制約(?)の中で表現をすることが、個性につながっているのでしょうね。(内容と直接は関係無いんですが、カーテンコールのやり方が、またよかったです!アンコールの場面って苦手なんですよ。。。特に、幕のすき間から二人ぐらいずつ出てくるタイプ。この公演はクイーンの曲が響く中、全員でカーテンコールに登場。こういうのは、それまで観ていてよかったな〜と思っている気持ち全体とリンクしたままいられて、とてもいいな〜と個人的には思いました…)


それにしても、舞台上に作られた狭いキュービックな空間に次々と14人のダンサーが入ってゆきひしめきあった後で、その14人が四角い空間の外(舞台)に飛び出すことで感じる空間の(心理的な)サイズの違いは面白かった。同じ人数がいても、例え同じ空間の広さでも、見方一つで(?)広くも狭くもなる。なんて日本的な、例えば盆栽や日本庭園に通じるような、なんて思えてしまったり。


そんなこんなで休憩無しの二時間弱、観る方も集中させてもらったとともにバレエを超えて、(特に)欧州は実に多様なものが混在しているのだな、と個人的には改めて強く意識することになりました。でも同時にそこは厳しそうな世界にもみえます。異質なものは認めてはもらえるけれど、磨くことを続けなくちゃいけない。うぅ。


巨星を失った悲しみで思い出すのは、バレエやクイーンとは全くつながりませんけれど、石垣島出身の大島保克さんの「流星」という曲です。沖縄音楽の偉大な方(嘉手苅林昌さん)が亡くなられたことを悼んでつくられた曲だとライナーノーツにありました。偉大な人の偉大なる所以の一つは、続く者の創造性に火をつけて逝くことなのではないかと思います。ベジャール氏という優れたクリエイティブ・ディレクターを失ったこの先も、今回いろんなものをくれたダンサーたちが、光を発し続けてくれるといいなぁ。今回の公演をみてベジャール氏に捧ぐ…という雰囲気は自分が勝手に思い込んでいたのかも知れませんけど、いろんなものをくれた氏とダンサーたちに心から感謝です。