逢う魔が時の細い路地で@むらた(小料理、大井町・東京)


最近、それまでほとんど行っていなかった、いわゆる"昭和的”な店に寄る機会が少しずつ増えています。はい、持つべきものは先達です。歴史には疎いのですが、恐らくはこれらがチェーンの居酒屋の大元なんだと思います。その土地に根付くことと、そこから離れて自由になることの差が、両者の違いになっているのですね。な〜んて。


久し振りに、会社で唯一の?Mandal-Art仲間と落ち合って向かったのは、大井町。駅前には駅の改札から連なる二階の歩道でつながったマルイや、駅ビルアトレがあって、さながら川崎市横浜市ターミナル駅にも似た様相です。その辺りから外れて、品川寄りの大井町線の駅を降りた辺りの一角に細〜い路地が二本残ってます。夏至を過ぎたばかりの空が、大分暗くなるころ、看板に明かりが灯りはじめました。並んだ店の中から、メニューや看板の類いが一切でておらず、その代わりミズバショウが描かれたこざっぱりとした暖簾のかかっている店に思いきって入りました。10人も座れないL字型の白木のカウンターは、綺麗に手入れがされています。一番奥の席、冷蔵庫の斜め前に、常連とおぼしきお方が一人。カウンターの上にはおばんざい風に大皿に盛られた料理が5品ほどあって、魚も野菜の煮物も、どれも見た目がうまそうな。思わず二人で"あたりかも!”と目配せ。


こういう店に入って、ゆったりできる感覚というのは、どうやって生まれてくるんですかねぇ。20代の頃、連れていかれたことがないわけじゃないけれど、なんとなく落ち着かなかったように思います(連れていってくれた人が苦手なタイプだった、かもしれないなぁ…)。年齢的なものだとすると、どこで刷り込まれるんだろう。同年配が、みんなこういうところで楽しめるかというと、、、どうなんでしょうね。自分で気付くのは、佇まいや料理でまず居心地を判断してること、よさそうなところは、初めてきたところでも、お店の人と話ができるようになってるなぁ、っていうことですかね。リラックスした状態で、人と話すのが苦手だったはずなのに、いつからこうなったのかは、思い出せませんけど。


「お飲み物は、何にします?」
「えぇと、ビールを一本下さい」

「…キリンでいいのかい?」


あはは。女将と会話したら、常連さんがビールを出してくれました。ありがとうございます。こういう小じんまりとして、電球色の灯の下では、ジョッキよりもグラスに注ぐほうが、うれしく感じる。この日は、河岸が休みということで魚は、身欠きにしん。綺麗につやつやと炊けてます。茄子の味噌煮や、野菜がたっぷり入った筑前煮風。お酒は、菊正宗。




「じゃ、またな」
「あら、もう、お帰り?」
    :
    :
「あの人は、他にお客さんがいると、何にも話さないで帰っちゃう人なんですよ」
「それは、悪いことしましたねぇ…」


途中からぼくらだけになってしまって、御年八十を越え、お店を開いて54年になるという女将と、少し話しをして、申し訳ないぐらいのお代を置き店をでました。表通りは、人が結構歩いてるんですが、改めて路地を歩いてみると、そこそこお客が入っている店はありますが、すれ違う人は、ほとんどいないのでありました。