人のつながりで、速度も距離感も変えてしまう


3日続けての、twitter話(すみませーん)。

恐る恐るだったみたいなこともあって、フォローした人(※フォローしたユーザーのつぶやきが、見ることができるようになります)の数もとっても少なかったし、ちょっと勉強的な気分でBBCとかCNNみたいなニュース、当時メキシコ中心に大変なことになってた米国CDC(国立疾病予防管理センター)をフォローしたもんだから、その頃は新しいニュース・チャンネルみたいに感じてましたっけ。実際、小沢代表の辞任も、イチローの200本安打もtwitterで知ったことだったし(…ずいぶん昔のことに思えちゃうなぁ)。


昨晩Yahoo!トピックスに、鳩山首相と居酒屋で話してきた…というさとなおさんのブログが載ったんですが、会食している最中も、twitterでそのことがポツポツと発信されていて、もう驚いたりドキドキしたり。ほぼリアルタイムでそれを見ている時は、鳩山さんが今までのどの総理大臣よりも距離が近い気がしたり(もちろん、気のせいです)。ところが、Yahoo!で今朝それを画面で読んだ時には、TVや新聞の距離感になっちゃった。


そう感じる原因は、「速度」と「距離感」にあるんじゃないか。twitterは、とにかく速い。感覚的には、ほぼリアルタイムに感じるぐらいの速度。実際にはじっと見ているわけじゃないのに、そう思えるぐらい。しかも、個人的な内容じゃないものもあるから、またスゴイと思う。自分でやってみても、歩きながらとか、何かをしながら実況中継ふうに使うことに、違和感は余りない(エチケット的には気をつけなくちゃと思うけど)。そういうものって初めてなんじゃないかなぁ。
そして、「相手」を感じられる距離感。見知らぬ人が伝えてくれたものであっても、それが錯覚(?)であると分かっていても、多くの場合、距離を近く感じるのだ。twitterは、自分が関心を持っている人や、興味のあることに関わっている人を探し、フォローするかどうかは、自分で決める。誰かが自分をフォローしてくれた時も、じゃぁ、こちらからも…という時も同じ。それが"距離感"に、一役買っているのだろう。
結果として、TVや新聞ではほぼ間違いなく伝えられない、けれど自分にとっては関心のあるニュースを、あっという間に知ることができちゃう。なんたってフォローしたその人が、大元の発信者だったりすることもあるわけだから、速度も距離感も違ってもしょうがない。


逆に、誰が発信しているものかをまったく伺い知ることができない新聞やTV(要は記事を書いている記者、ということになるのだと思う)の場合、雑誌でよくある"メーカーのタイアップ広告記事"のように思えてきたりしちゃうのだ。特に最近のように、記者クラブの存在とか、どのチャンネルも同じニュースを微に入り細に入り、延々と繰り返している時はなおさらのこと。そういうことが珍しくなくなってくると、新聞やTVも、それまでとは別の面に気付く。例えば、"新聞やTVって匿名発言の大御所じゃん"とか、"少し前までは、広く遠くまで届くようにすることが大事だったんだよな"とか、"限られた場所や時間にしか見られないんだな"とかとか。
まぁそんなことを考えていても、しょせん自分の場合フォローしているのは、今のところ、わずか50人ぐらい。数百、数千、何万とフォローしている人たちは、また違うものがみえているんだろうなぁ。彼ら彼女らは、どんな速度と距離感を味わっているんだろう?


「ぴあ」のライブ・エンタテイメント調査では、音楽・ステージ・スポーツなどのライブもの(映画を除く)は、昨年も観客数、金額ともに伸びているという。一方で新聞や雑誌、TVの視聴率などはかつてない厳しさ。利用者の行動調査から見ても、一度に大勢を相手にするビジネスの勢いは、"誰"が明確なものとそうじゃないもので、ずいぶん違いそうだ。iPhoneみたいなものの価格がぐ〜んとこなれて、10代でも多く持つようになってtwitterとか使いはじめたら、どうなっちゃうんだろうなぁ。あぁ、それよりブログも自分も、貯めたりせずに更新せねば…(爆)。