動いていること

10月10日は、目の日なのだそうだ。僕の中ではまだ体育の日のまま。そんなわけで、確かだと思っていたものも何かの都合で変化していくことは決して珍しくないのだと年に数回思うのだ。同じように、流行は別として、簡単に変化するとは思わなかったものが、変わることも多い気がするのは僕が歳をとったからなのかも。

仕事のやり方も、言葉の使い方も、人の接し方も、今は何かが動いている感じがするのだ。動いているからできている、というのかな。止まってしまったものは虫ピンで固定された標本のようなもので、関心を持つ人や機会が少なくなった状態や一方的な静止的な発信形態。仕組みにはそういう状態のものが多い。
多くのひとが関心を持っていることは、それを解釈したり伝えたり…という動きが続いているように見える。蝶や鳥が花や餌を求めて飛び回っているように、聞くだけじゃなくてまた誰かに伝える。そして、渡りをする蝶や鳥が大量に集まり群れ乱舞するように、ある時それが爆発的状態を引き起こす。もっともそんな状態を引き起こすのは、内容が深刻だったり一般的に重大なこととは限らないのだけれど。それでも、動いている”状態”そのものが何かを表現しているんじゃないかなと思う。

YouTubeGoogleに買収された"事件"は、その第一報(噂)を週末にネットが報じ、それを新聞も伝えた。今朝方、ネットでニュースをたどりながら、そんな思いがまたちょっと強くなった気がする。