他人が保証する価値

財布の中を見ていてぎょっとした。いえなに、殆ど入っていないコトは珍しくないのだ。その日は珍しく銀行にいったものだから逆に福沢氏が2枚お入りあそばしていた。ところが。。。この福沢氏、何だか感じが違うのだ!?

顔は同じ、服も同じようだ。ふぅむ何だか背景の色が違うぞ。片方は地味め、こっちは色が付いてるじゃないか。おっとこっちにはホログラムシールがついていない!えぇっ。まさか・・・と思ったけど透しは入っている。ほっ。

お恥ずかしい。新旧一万円札がはいっていたというオチ。しかし、である。どうにも気持ちが悪いのだ。両者とも国が認めた同じ価値を持っている。なのに、なぜか旧札がなんとなく不安なのだ。「こっちを早く使ってしまいたい。。。機械だとはじかれるかもしれないから(←なぜ?^_^;)、どこかの店での支払いに使おう!」なんて気分になってしまったのだ。

自分で思う価値は、周囲や環境からの影響は受けはするけれど、自分で判断するしかない。同じ日本銀行券でも、人によって使い方は異なる。物差しの目盛りは同じでも何に当てるか、その結果をどう感じるかは人それぞれ。ふむ。みんな同じように感じ動いていると思えることがあるとしたら、錯覚なのかもしれない。

結局どこでどう使ったかも思い出せぬうちに、二人の福沢氏はどこかへ行ってしまった。去られてみると、もう一度来ないかと思ったりもするものなのだ(笑)。