白鳥の湖@Kバレエ

国際フォーラムへ、バレエを観にいった。そんなつもりは毛頭なかったんだけど、先々週の狂言と自然に見比べができて、とても面白かったのだ。今まで何度かバレエをみたことはあるけれど、今回ほどいろんな楽しみ方ができたものはなかった。Kバレエの舞台、ということもあるのだと思うけれどね。

最初に息を飲んだのは、美術と一体になった奥行きや高さを使った演出。決して写実的だったりリアルな作りの美術じゃないのに、光の色や強さや明暗などで、そこが湖になったり王宮のホールに見えてしまう。群舞の白鳥たちが舞台で踊る時のトウシューズの音が、羽が水を叩く音に聞こえてくる。話は飛ぶけれど、20年ぐらい前に初めてMacのデスクトップ画面を見た時のことを思い出してしまった。その何年後だったか、日本の各社がデザインしたデスクトップは現実の机の上をいかに模しているかというものだったのだけれど、似せようとすればするほど不自然になっていったのだ。まぁ、それはちょっとひどい例かもしれないが。それにしてもこの舞台で見た表現は、能舞台にも表れている日本流の見立て方とは違うタイプなのだと思う。「これは○○だとする」という時に、暗黙の了解を形成しやすいから、極限まで削ぎ落としていったのが日本の文化なのだろうなぁ。西洋文化によくいわれることだけど、高さや奥行きの使い方が本当に鮮やかだ。

それにしても、バレエダンサーの肉体の凄さとその運動エネルギーの扱いの素晴らしさったらない。よく考えれば不自然(?)なのに、自然以上に自然に見えてくる。例えば、走って飛んで止まると、その勢いで身体は前のめりになるはず。ところが何事も無かったかのように筋肉が力を吸収(?)して、まっすぐ立っている身体。安定感としなやかさが同居している。

素人の見方だけど、群舞とソロに求められるものも違うんだと感じた。この日のオデット(康村さん)やジークフリート(熊川さん)は、身体の動きと連続した腕の振り一つが、舞う羽のように時に重力を感じさせない。ゆっくりした動きをどこでどれだけ交えるかということなのかと思ってみていたけれど、よくわからない(笑)。一方、群舞はまわりと揃っていると美しくみえる。この中にソロで踊れる人が混じっていると、きっと浮いてしまうんじゃないかなぁと。

そして、踊りは決して多くないと思うのに強烈な存在感で流れをぴりっと占めているロットバルト(キャシディさん)や、場面に緩急をうまくもたらしていたジークフリートの友人(ブーベルさん)などホントに目を見張るばかり。
ちょっとアンコールが多くて(苦笑)なんてところもあったけど、誘ってくれた人とKバレエの皆さんに感謝!