コトバは何を伝えるのだろ


先日春休み中の小学生1〜5年生たち8人ぐらいがゲームをしていた。
「負けちゃうな〜きっと」…「ぼく負けちゃう」
ゲームを始める前に、みんなが口にしてる。誰かと会話をしているというわけでもなく、独り言みたいに。ふぅむ。
「がんばれ〜っ!」「いけ〜!」
ゲームが始まるとこれまたみんなそう叫んでる。


その数日前、日系アメリカ人の人と会議で一緒になった。何かの拍子に子供に対する教育の仕方が日米で全く違うという話になって、彼がこんな例を挙げた。
アメリカでは子供が(何かをねだって)ぐずっている時に、”お前は猿か?猿じゃないなら何をどうしたいのか、ちゃんとコトバにしなさい”といって怒ります。自分の気持ちをコトバにできるのが”人間”であると考えているのです」
「でも日本は違います。子供は困った顔をして甘えた素振りをします。親はそれをみて、”どうしたの?お腹がすいたのかい?○○が欲しいの?”と聞きます。仕事でも自分が何をしたいのか、コトバにできない(しない)日本人をたくさんみてきました」
コミュニケーションの前提となる”ルール”がここまで違っていたのだ。日本語ができる、英語をしゃべれるという以前にこんな差が横たわっている。


自分の小さい時のことはよく覚えていないけれど、自分の思い通りになりそうもないことは避けていた部分があるように思う。それがいつの頃からか、”できないこともあるからしょうがないよな”とか”やらないでグジグジするよりは、まぁやってみるか”なんて少しずつ変わった気がする。テストの成績とか受験の失敗とか恋愛とか、そういうことの積み重ねかも。親に頼ってもどうしようもないしね(爆)。


じゃ、今自分が仕事で何がしたいのか。う〜ん、困ったぞ(-_-;)