たなごころという言葉を思い出した@吉富寿し(寿司、福岡・福岡県)


先週末に急遽決まった福岡出張。偶然にも先週初めに教えてもらった小さな寿司屋。そして福岡空港に到着して電話をかけたら(…お昼時なのにご迷惑かけちゃいました -_-;)ラッキーにも予約がとれた!ということで、いそいそ行ってきました。


[ ]地下鉄赤坂駅を降りて、もう道の反対側は住所が長浜になるあたり。聞いていった場所なのに、いくらみても見つからない。。。って看板を探しちゃってたんです。あるはずだって思い込んじゃってるとダメですね。お店の前から再度電話してしまい…ハズカシイったらありゃしない。


さて。実は寿司というものが、よくわかっていません。ランチで1.5人前千円とか、築地の場外とかそういうところはもちろん何度も経験ありますけど、きちんと手をかけたネタをぴしりと目の前に置かれて値段なんか出ちゃいない…というようなお店の経験がほとんど数える程しかない。何度も繰り返していったところもない。若いうちから行ってもなぁなんて思っていたこともあったりもして、つまり自分なりの"基準点"みたいなものが出来てないんです。寿司。


中に入るとカウンターが七席、一つだけ空いてました。よく見るとテーブルもあるけれどこれもお客が増えてくれば使うのかな。席に着くと、なんだか風景が変だな。。。えぇと。。。何故だろう? あっ、寿司屋に付き物の、冷蔵ショーケースがないんだ。カウンターから握ってるご主人までちょっと低めで大体同じ高さ。それが全部見通せる。へ〜あの使い込んだ三段重ねの木の箱に、まるでお節料理みたいにきちんとネタが詰まってる。帆立のアイボリー、煮アワビの黒など色とりどり。一人分ずつ切ったネタは左手に置く。その後で、箱ごとカウンター下の冷蔵庫(?)へ。なるほど。見渡すと壁に掛かっているものは侘助が一輪だけ。ちょっと古びた土壁、網代、調度品。これはある意味目の前のものに集中する環境ができあがってるように感じます。


最初は、千枚漬け?に挟まれた白身。そして〆は昆布にくるまれていた菜の花が。車海老(茹で)、炙り帆立、煮アワビ、トロ、穴子、ふぐなどなど12ぐらいあったのではないかと思います(途中で数には意識がいかなくなってしまいました^_^;)。そのほとんどにどれも一旦手が入っていて、すべて醤油はつけない、ってそもそも見当たらない。ネタによって、ツメ(四種類あるようだ)が塗られたり、塩や山椒が盛られたり、かぼす?が滴らせてあったり。なるほど、こうなると最後の味付けまで含めて主人が考えているベストを味わえるわけですね〜。個人的に特に楽しかったのは、〆鯖の炙ったもの、鰤の醤油漬け。どちらも食べている魚なのに食感も、味わいも口の中は初めての体験。そうそう、「もう少し握りますか?」といわれてお願いして食べた煮蛸のホロホロとした口当たりと、赤貝(生)の何とも言えない香り(←いわゆる磯の香り的なものとは全く違うもの)も忘れちゃいけない。


にこやかな表情を変えず、小さ目の声。気合いをばんっと発しているわけではないのに醸し出される、ある種のピンと張った雰囲気。そして(電話を何度もしてしまった故だろうけれど)いきなり名前で話しかけられた緊張感と少々照れ臭さ。あくまでイメージだけなのだけど、合気道とか柔道の達人にほとんど触れられることなく気がついたら投げられていた、しかもなんだかそれが心地いい。何を言いたいのか自分でもよく分からないんですが(^_^;)、椅子にちょこんと座って(また真正面だったんですよね)そんなことを思ってました。寿司には江戸前とか博多前?とかっていう特徴があるみたいなんですが、何しろよく分かっていないワタクシ、そういうことより目の前のご主人のつくってきたカタチの、一つを今食べてる、ということだけで楽しかったです。そして食べてる最中から「もう一度来てみよう」と思うところに出会った、冬の博多でした。