計画って何だろう〜費やすことから投資することへ


いろんなことは、なぜ計画通りに進まないのか。月に一度届くメルマガにこんな問いかけが。ウ〜ン、そういえば結果としてちゃんといったことも、いかなかったことでも、最初の計画通りじゃないことは珍しくない気がするなぁ。自分の計画の立て方や進め方に問題があったかと思っていたのだけど、そういうことだけじゃないのかも!?


計画とはあらかじめ方法などを考えること、と辞書にはでてる。画は、区切ることの意だから、幾つかに分けて考える意を含むのだろう。考えるといっても、その時自分ができる範囲でのことだから、よほどの短い期間のことじゃなければ当然自分も環境も変わってくる。それでもなぜ、あらかじめ考えるのだろうかと考えてみたのだが(^_^;)、たどり着いたのは"(広い意味で)コストを見積もる"ためではないかというもの。
これからやることに時間を当てはめ、ヌケモレが無いかを確認し、予想外のことをあらかじめ予想して慌てないようにし、それを一緒に進める誰かと共有する仮の目標を作る。活動の全体像をとらえようとするのも、詳細な活動にブレークダウンするための出発点でも、時間や手間や費用など何をどれぐらい費やすことになるのかを予測するためじゃないか。その結果、計画をあらかじめ修正変更することもある。具体的には、学生の間は勉強を、社会に出てからは仕事を対象に計画を立てればよかった。計画通りやった、できた、というのは立派なこと(暗黙の前提として)とされているといっていい(のだと思う)。もしかしたら、費やすもの(いわゆる、人モノお金とか)と得るもの(収入や知識など)は、割合シンプルな関係にあったのかもしれない。。。まぁ自分の場合を振り返ると、コスト換算して考えるという意識が弱かったことは間違いなさそうだ(^_^;)。


10年前と比べてみると、主にインターネットを使っていろんなことができるようになった。誰かに頼まなければ分からなかったことやできなかったことも、可能になった。でも、その反面…なことはないか。ゆとりとか余裕(言ってみれば何をすると決まっていない時間だったりするかもしれない)は、身体も心もずいぶん減ったような気がする。本一冊とってみても、読んでみたいと思うものの数はたかが知れていた気がしちゃうのだ。大きな本屋をぶらぶらする。何かに詳しい先輩に聞く。同じ趣味の友人と情報交換する etc. 今は、ネットを見て自分が全く知らなかった(=本屋をぶらついても分からなかった)本を知り、アマゾンからはリコメンドが届き…なんてことが毎日起きてる。以前と同じ感覚で、まずはツンドクでもいいから…なんてやってると、読む時間も買うお金もとてもじゃないけどあっという間に底をついちゃう。


何かを"費やす"ための仮の条件リストという役割を担っていた「計画」は今、何にどれだけ"投資する"かという意味も持っているんじゃないか。お金を入れれば切符が出てくるだけではなく、今ではSuicaPASMOにチャージすることで、電車の利用はもちろん、買い物もできるしポイントまで貯めることもできちゃう。同じ金額を機械に投入するにしても、そこから得られる・できることは一つじゃなくなってる!もの。すぐに結果が分かるから便利だから…で満足するか、しばらく得られるものがなくてもその先に行くか。いろんなことがこれからも変わる中で、保てる可能性が高いのは自分の素直な気持ちに沿うことなのだと思う。梅田望夫さんがいってる「自分の"好き"を貫け!」ということはそういうことなのだとやっとこさ、腑に落ちた。一番リスクが高くなる方法は、「みんながそうしてるから…」になる(既になってる!?)んだろうなぁ(冷汗)。


。。。こういうことって他にもいろいろある気がする…ゾ〜(-_-;)ゞ