求める価値と提供される価値の微妙なズレ〜買わなくても残したい、本屋

東京だと、いろんなところに本屋はあるけれど規模や品揃えは様々。wikipediaみたいに何かをしりたいなんて時の探し物に向いている大型の書店から、その時の関心や書き手に興味があって登録したRSSリーダーで読む記事とそこからのリンクをたどるような感覚の、規模はそこそこだけど品揃えが心地よいところ。この間認知心理学の人が言っていたけれど、人は全く道具を使わず頭だけでものごとを考えるのは苦手(ほとんどの人はできない)だし、歩き回っていろんな方向からみないとモノをちゃんと認識できないのだそうだ。紙を折ったりペンで書いたりめくったり、ぶらぶらしながら手に取ったりすることは、そういう身体感覚を使っている気がする。画面を見ながらキーボードを打っているのとはどこか違う。本や書店はそういうための存在でもあるのだと思う。


ところが以前は一つだった「書店をぶらぶらしたり本を手に取って眺める」ことと「本を買う」ことが分離してる。本を買うことはamazonに代表されるようにネットで買うことがほとんどのように、身体的なことから遠ざかってしまってるのだ。昨日は何度か迷って"頑張って"一冊買ってきたけれど、自分の中で本に出会ったり手に取ったりということと、買って帰るということが別のことになってしまってることを改めて実感。
本屋という存在、しかも自分にいい刺激をくれる本屋という存在は、友人と同じぐらい、時にはそれを越えるぐらいのもかも…と思う。で、そこは本が売れることで成り立っている。ここが難しい。本についてのことなのに、自分にとっての価値と、書店が提供してくれる価値がずれてしまっているのだ。


このずれが解消されるにはどうしたらいいか(ビジネスのネタになるかも…)、すぐには思いつかなかったので、本を買わなくてもなにがしかの"寄付をさせてくれる"ということができないかと考えてしまった(笑)。消費税みたいでもいいし、何かのやりとりでゲットしたポイントを寄付できてもいいかも。尾瀬みたいに入り口に募金箱があってもいいじゃないか、と。いや何をいっているかというと、それぐらい相性のいい本屋というのは大事なものなんじゃないかと改めて思うのだ。そして具体的には、青山ブックセンター六本木店がいつでも立ち寄れる場所として、あそこにあって欲しいと。。。ハイ。