みること+表すこと@イームズ100×100展(AXIS、六本木・東京)


先週からいろんな分野で活躍したデザイナー(という枠に収まるようには思えないけど)・イームズ展が始まっています。詳しいことは知らないけど、ぼくの中では「Powers of 10」というムービーがとにかくインパクトがあって記憶してる人です。これは、ミクロからマクロまでの視点移動を見事にみせてくれるものなんですが、原形がフィルムになったのは40年前のことだとか。。。そんなイームズの100の言葉が100の写真とともに展示されている。いや、正直それだけなのかと拍子抜けしそうになって、一瞬行くことさえ躊躇しちゃいました。でも!行ってよかった。そこには例えばこんな言葉が。


情報の時代が終わったら、次は選択の時代だ
After the age of information comes the age of choices.
(Charles Eames,1978)


30年前。PCもない頃。一体彼は何を感じてそう発したんだろう? こっちは昨今改めてそれを感じていたところだったのだ(-_-;)ゞ まぁシンプルな言葉ほど、読む方がいろんなものを投影できちゃうところはあるけれど。それにしても、変化の中でも揺るがない本質部分をみていたのだろうなぁと思えますなぁ。


その他いくつも"引っ掛かった"言葉を浴びながら、一緒に並んでる写真100点を行ったり来たりしながら何度も眺めていたら、"ここにある写真に、いわゆる広角レンズで撮ったものは一枚も無いんじゃないか"なんてことがふと浮かびました。でも、妙に自然な感じがするのはなぜだろう。なんていうのか、目でみているかのような気分になったんですね。人の視界よりも狭い範囲しか写っていないはずなのに。


目で見ている範囲は大人で水辺方向160度、両眼で200度ぐらいらしい。でもこれは一様ではなくて、中心部と周辺部では、見え方というか認識に仕方が違う(のだと思ってます)。例えば星を観る時に、暗くて見えるかどうか分からないぐらいの星を観ようとする時には、視線をちょっとずらして視界の端を使うといいんですよ。視野の周辺を担当する細胞と中央を受け持つ細胞は特性が違っていて周辺部は色には弱いが明暗には強いから、それを利用して。話がそれてしまったけれど、つまり「目で見る」と一言でいっても、中心部のよく見えている(=何かを認識している範囲)と、その外側に連なっている何かがかある範囲の両方があるのだと思います。で、イームズの撮った写真は、中心部とその少し外側までを実際にフィルムに収め、想像力をかき立てる構図や構成でさらに外側へ繋げているんじゃないか…とまぁそんなふうに思ったわけで。


フィルムを使っていた頃のカメラはレンズの焦点距離が50ミリ前後のものを標準レンズといってました。レンズの焦点距離と一コマの対角(43ミリ強)がほぼ等しいからとか、画角が焦点距離とほぼ等しいからとか、理屈は聞いたことがあります。なぜそれが標準なのかは今でもよく分かりませんが(笑)。
ここにある写真たちをみていると、歪みの無さ(広角になると肉眼とは違う誇張された歪みが出てきますよね)とか奥行き感とかがとても自然に思えるんです。ポラロイドも使っていたみたいだから、この標準レンズぐらいの画角のレンズを結構使っていたのかも。そんなことを考えていたら、自分も撮ってみたくなってきた。写った印象は確かに肉眼とは違うんですが、視界の広さを求めて広角レンズを常用してきましたから。そこで、40〜50ミリぐらいのレンズが付いたコンパクトなデジカメは無いかと思ったけれど、そんなモデルはあるわけがない(笑)。だから、ちょっと前に買ったデジカメ(28ミリからのズームがついてます)を、ワイドじゃなくて少しズームしてから撮ってみることにします。また写真がちょっと面白くなりそうな予感(^_^) 
そんなわけで、いろんな意味で、イームズ氏に感謝!
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