印象派を浴びる(1)〜三美術館巡り


う〜胸一杯、お腹一杯。。。結婚するまで絵も見ることはほとんど無かったワタシ。クラシックだってごくごく最近聴き始めたところ。そんな身体(?)を省みず、のべ2日間で恐らくは100枚以上の絵を浴びるようにみてしまいました(わんこそばを思い出す…)。う〜もう食べられないぃ。。。敢えて予習はせずに(←してもムダだと開き直った)、"自分がどう感じるのか"でいってみることに。"もっとみたい"とのめり込めるのか、それとも途中で"もういいや"となってしまうのか。。。とちょっとドキドキしてましたけど、結果はごらんの通り。それにしても、絵をたくさんみるというのは、かなり気力体力使うことなのですねぇ。絵から力のようなものを感じます。こちらが弱っている時にはとても正視できないんじゃないかと思うぐらい。


オペラ座で天井のシャガールに対面し前夜祭!?。明けて最初は d'Orsay(オルセー)美術館。元は駅だそうで、蒲鉾型の屋根で覆った吹き抜け的な空間。今の駅(LYON駅とか)もそう形状は変わらない印象ですね。19世紀半ばから20世紀始め頃というのがこの美術館の役割分担なのだそうで、それ以前がルーブル、それ以降がポンピドーとなっているのだとか(wikipediaから)。それだけいろんな作品がこの国にはあるってことですね…(^_^;)

浴びることでみえてくることがある

絵に詳しいわけではないけれど、なんとまぁ数年前のレアルマドリーというか黄金期のジャイアンツというか(←若い人はわからないか…)、どこかでみたような絵があそこにもここにもという状態。思わず「あぁ、日本にはこの中から分割払いでやってくるようなものなんだなぁ…」と嘆息せずには…なんていってられません、とにかくみました。何点あったんだろう。絵画だけじゃなくていろんな作品がありましたけど、やはり目に付くのは印象派の辺り。教科書に出ているようなものがあちらこちらに。気になったものは何度も戻ったりしながらみましたが、これだけあるっていうのは食べ歩きを楽しんでいるようなものですね。「あぁ、Monetモネって構図でまず惹きつけるのが特徴じゃないか。写真撮ってもなかなかなんじゃない?」とか「Manetマネはくっきりした色、特に光を吸い込むような黒が印象に残るなぁ」なんて好き勝手に感じ始める。そんな自分なりの気付きが出てくると、面白さに弾みが付く。これは、日本の美術館では体感したことのないことです。一点一点じっくりみる、ということも大事なことだと思うんですが、自分なりの見方のヒントのようなものを形作るためには、浴びるような"量"もかなり重要なことなんじゃないかと再認識しました。


いったんそんなことが(例え勘違いでも思い込みでも)できてくると、もっとみてみてもいいかな…となるから現金なもの。あは。Marmottan(マルモッタン)美術館にいきたいというリクエストもあって、ブローニュの森の方へ。あぁ、ここも短いけど行列。でも、チケットの売り方がのんびりしてるだけ(-_-;)。ここは、後から寄贈されたMonetモネを中心とした作品がたくさんあるとか。。。確かにありますね〜約50点続けてMonetモネを浴びました。印象派第一号といわれる作品もあるんですが、連作の方に目を奪われました。睡蓮のような連作になってからは、何か吹っ切れたようなものを感じて、何か"こうしてやろう"みたいなものがない。ただただひたすら感じたものを描き表したくて、誤解を恐れずいえば、描きなぐるかのような勢いを感じます。「…この人、睡蓮を描きたかったわけじゃなくて、水や空気や光を描きたかったんじゃないか?」なんて感じると改めてそういう目でもう一度見て回る。結局そのままの勢いでde l'Orangerie(オランジェリー)美術館へ梯子をすることに。唐突ですが、ブログっていうのも(意識して書き続けるならば)連作のようなものになることもあり得る気がします。自分ができているかどうかは別として。。。


(…続きます)