今を生きていることの発する力〜「崖の上のポニョ」を観てきたメモ


いやぁ、過ごしやすくなってきました。月は綺麗だし、エアコン使わないとなんて気持ちよく眠れるんだ(爆)。iPod nanoのオレンジ色もあのサイズと薄さも実際に見ると魅力的ですね〜(支離滅裂ですね。。。すみません)。さて、もう軽く十年(←どころじゃない)は足を向けていない、映画館。久し振りにいってきたメモとして書いておこうと思います。最初のきっかけはこの映画が公開された頃、電車の中でこんな会話を偶然耳にしたことでした。

大人「ねぇ、ポニョはもうみた?」
子供「うん!」
大人「ポニョはどうして人間になりたかったの?」
子供「あのね、ポニョはハムが食べたかったの」
大人「え〜?宗介が好きだったからでしょ?」
子供「うぅん、ハムが好きなの」

親子ではなくて、友達のお母さんとおぼしき大人と幼稚園年長ぐらいの女の子。なんだか、この映画が気になってしまった瞬間です。そして8月も残り少なくなった頃、目に留まったこんな記事でした。

「すごいねえ」「はじまるね」「こわいねえ」「美味しそうー」「ワーーーッ!」と、とにかくみんな(=子供たち)よく喋る。スクリーンにご飯が出てくると、映画館全体がゴクッ…と生唾をのんでいるのがわかる(笑)

これって、あの電車の中の会話に通じるものがあるんじゃない?わかりましたよ(苦笑)、こうなったら行くしかない!



は〜っ。ちょっとうるうるして、何か悪いものが流れていったようなこの感覚はなんだろう?とぼーっとしていたら、立川志の輔さんの落語に似てるんじゃないかという考えがボワンと浮かんできました。良質で前向きなサービス精神、とでもいったらいいのかな、斜に構えたり大人びた視線で見えるものとは違う世界。そんな姿勢(というのかな)に重なる部分があるような。絵もストーリーももちろんですけど、形も、色も、音も。例えばこれでもかという映像や効果音の連続は苦手ですけど、「ポニョ」は動きだけじゃなくて、音も実際以上に自然な印象でした。実は思い切って少しだけ目をつぶってみたんですが、これも十分楽しめました。けど、やっぱり絵をみないのは余りにもったいなくて、その後は目をつぶるなんてできませんでしたけど(笑) この映画は、手で描かれた膨大な絵を元に作られた"アニメーションの原点回帰"が「思い」の一つなんだそうです。自然の中に直線はない…なんていわれますが、確かに手で描かれた線は"自然に"感じる要因のひとつなんだと思います。みているうちに絵本の中に入り込んでいるような気分になってきたのは、そういうことが原因かもしれません。自分も確かに"世界のほころびの場所"にいた! これは実に楽しい体験でした。


帰りの電車の中でもつらつら。忘れていたことで思い出したことがありました。子供の頃、心魅かれるものってふとした拍子に恐い!って思うこととなぜか隣り合わせだったりした経験、ありませんか? さっきまで夢中で遊んでいたのに、ふと我に返ると暗闇に覆われていたり、人気のない森の中にひとりいることに気付いちゃったり。ポニョが人魚と人間の二つの姿だけじゃなくて、その間の姿を持っていることをみて、そんなことを思い出しました。だから宗介がその全てを受け入れられるかどうかが、試されたことなのかな、と。


もう一つ全編を通して描かれている、これでもか(笑)という存在感を放つ"女性"たち。いや〜海ではなく地べたに足を付けて、実にしっかり生きてます。リサはもちろん、たんぽぽにいる老女たち、海と重なってみえるポニョの母親も。いろんな見方ができるところだと思います。例えば、新しい世界を生み出すのは技術的なイノベーションも必要かもしれないけど、女性が不可欠なんじゃないか、とか。自分はそんなふうにも受け取ったのですが、女性からみるとどんなことを感じるのでしょうね〜。行った人から聞いてみたいなぁ。



残念ながら子供たちはほとんどいなかったので、結局彼ら彼女らの反応は分かりませんでしたが、夢中になっていた自分を思い返すと、もし子供たちが周りにいたとしても、その反応に気を払うゆとりがあったかどうかはかなり怪しいもんです。。。あぁあの歌がまだ聞こえてます(笑)