鏡のような、ピン!@すきやばし次郎(寿司、銀座・東京)


12時55分。予約した5分前に店へ。カウンターが半分ぐらい空いてる。こちらへ…と案内された席へ。先客に詰めて座ったら、小野二郎さんの正面だった。いやはや、ついてるゾ(笑)。いそいそしながらも既に目はその動きに釘付け。あからさますぎて今から思い返すと、ちとハズカシイ。。。


この歳になったらそろそろ行ってもいいかもなぁ…と思う店、いくつかあります。ここは、そんな中の一つでした。とはいっても、普段遣い…というわけにはとてもいきません。その日は家人の誕生日。リクエストを受けて、清水の舞台から飛び降りるような気分で予約の電話をしました。カードが使えないこと、予算の目安など丁寧に教えてくれ、一週間前には予約確認の電話もいただきました。


「綺麗な空間にアイデアは降りてくる」と、以前深澤直人さんがいっていましたけど、不思議にこざっぱりとしたお店だな…というのが最初の印象でした。余計なものがまだない、出来立ての店みたいにもみえますが、手がかけられてる。照明も、明るすぎず暗く感じることもない。そんなお店のカウンターの中、年輪のみえない石板のような肌理のまな板を前に、力まずすっと立つ二郎さん。大きめの手・綺麗な肌艶の長い指で握られた寿司が、客に対してやや斜めに置かれます。口に入れる時から入れ終わった最後まで、ネタが口に収まりやすいような向きを、恐らく考慮されて(極端にいうとネタが鋭角三角形で、手前にその長い角が来て、手でつまむとその反対から口に入り、長い角が口がすぼまるのに合わせて口の中へ…)。コハダのような模様のあるものはネタが斜めになるように握られた鮨飯の上に座っていて、見た目に動きも感じます。


想像よりも大きめで厚みのあるネタ。でも滑らかに口中をツルリと撫でていく絹ごしのような感触は、初めてです。そしてそのあとにやって来る味わい。印象的だったものは幾つもありましたけど、中でも味の濃い赤身。まさに肉的。トロも石垣の「やまもと」に通じる軽さがあって驚きましたけど、赤身好きなもので(笑)。燻した藁の香りのする鰹も、実に肉的です。うぅむ。そしてバターを連想させたのは、雲丹。こういう手を掛けられたものを食べていると、白身が野菜的に思えたりして、なんだかコースを食べてるみたいです(笑)。


そして、噛み心地。最初は鰈から、スミイカ、縞鯵、鮪三兄弟…と進むんですが、なんていうんでしょうか、歯を立てた時のネタの堅さというか抵抗感のようなものが、ある幅に収まってるように感じます。トロもあれば車海老や鮑だってあるのに。それでいて、噛みしめるとそれぞれの食感と香りと味わい。。。そして口に放り込むと途端にばらけるのに、崩れることなく包丁で切られてちゃんと断面をさらす握られ方の酢飯の粒々。こいつらも一粒一粒しっかり舌を撫でていきます。あぁ、いつになく敏感な口の中だ(笑)。


山葵にもびっくり。っくぅ…と来そうになるけれどその一線を超えず、ネタの香りを楽しむ嗅覚を目覚めさせ、同時に舌を拭ってくれるように効いてます。舌触りもねっとりと滑らか。自分は薬味の役割や山葵の意味を今まで知らなかった考えたことなかった…そんなふうに思えます。あぁぁ。そうそう、軍艦巻の海苔の香りも、この山葵に近い役目なのかもしれないと思ってしまいました。


最後の玉子まで、全二十貫のストーリー。どんな話を描けるかはその時その時で違うと思いますけど、感覚がどれだけ目覚め、集中を楽しめるかで、その時の自分の状態が分かる気がします。完成しているようにみえる、この”お任せ"なのに、その一方でまだ変わり続けるようにどこかで感じるのは、そんなふうに思えるからかもしれません。お店の方たちのきびきびした様子、店を後にした我々が見えなくなるまで店先で見送って下さっていた二郎さんの姿が、今も焼き付いてます。