ひとりでやるからこそ…の世界@立川志らく「志らくのピン・古典落語編」


月半ばの、内幸町ホール。立川志らくさんの「志らくのピン・古典落語編」は当日朝に次回のチケットが発売になりますが、買い損ねても会場で若干枚数が販売されるという"特典"が。こうやって習慣性中毒患者が生まれていくんでしょうねぇ。。。


ぽっぽっぽ〜…先月の「居酒屋」に続いて、またまた出ました、酔っ払い!一席目は「親子酒」という噺でした。タイトルとは裏腹に、親子で禁酒を始めた酒大好きな親父さんが主役なんですね。我慢できずに古女房にだだこねて飲み始め、独り芝居状態でみる間にべろべろに。いや〜こりゃまた一段と、、、スゴイ。ここまでの酔っ払いはいないんじゃないかと思いながらも、どう見たって立派な酔っ払いだもの。酒飲みはきっと、ここまで酔っ払いのマネはできません。だって自分もそんな時には酔っちゃってるはずだから(笑)。そんな中で気がついたのは、掛け合いでは人物によってちょこっと左、次は右と身体を向けて、ナレーションは正面の客席を向いて…と使い分け。これって、ひとりで掛け合いやってるからこそ、できることだと思います。誰かとやっていれば、この連続感は難しい。逆に間がポイントになるのかもしれません。ホンの少しの違いにもみえるけどこれがまた、目の前にホントに座敷が浮かんできてそれがまた気持ちいい。同じくひとり芸(?)の似顔絵や物まねのに通じる、削ぎ落とした特徴の掴み方!わははははっ!


興奮さめやらぬうちに、二席目は「狸」。この噺、立川流では二番目に覚える噺なんだそうだ。登場人物が少なくて、目線を上下に動かすことを学ぶのだとか。なるほど〜そうやって段々と人間を演じ分けたりする高度な噺に進んでいくんですねぇ。なんだか妙にしっかりしたカリキュラムじゃありませんか。感心してしまいました(失礼)。
もとい、なんでも狸の恩返し話は狸が何に化けるのかで四つあるのだそうだが、そのうちの三つ、「鯉」「札」「賽」を一気に。志らくさん、顔を体を動かす、動かす!膝立ちになって腹鼓叩いたりして、、、なんだか別人だぁ〜おぉ〜!涙ぐみながら笑い、惹きつけられ、また笑い。くるしぃ〜♪ …ふぅ、後口のいい、濃厚な時間が過ぎていったのでありました。。。


ここまでで、20:30、前座から1時間半。なんだろう、この心地良さ。いい緊張感というか、集中させ続けてくれたまま、息をのみ、涙を浮かべながら笑い、拍手する。まるで、いい景色を楽しみながら自分の好きなペースでどんどん歩いていってるような(ジョギングが好きな人なら気持ちよく走れ、自転車が好きな人なら思う存分風切って…なんでしょうね)、壮快さのような感覚です。登場する時は、妙に年齢が上に見えたり両手だらりの構えみたいな印象なんですが、噺に入るとしなやかなムチのような筋肉質。比べるものじゃないとは思いつつも、この間みた漫才よりもずっとテンポが自分に合ってることを確認しました(笑)。


どれもはじめて聞いた自分には、そんなふうにいろんな発見があるんですが、志らくさんにはどうだったんだろう。今日の演目がかかれたチラシの裏に、志らくさんはこんなことを書いてました。

今年は収穫の多い年でありました…ただ軽い噺で良いのがない。…「居酒屋」全て過去の作品。あまり進化していない。理由は分かっています。全てギャグ先行でこしらえてきた噺だけに、次の展開がみつかっていないのです

同じ噺をやっていても、どんどん進化を続けるには、こういう意識があるかどうかなんですね、きっと。。。これって他人事じゃありませんわいな(苦笑)。


ウブだけど一途な(?)染め物職人と吉原の太夫のハッピーエンド、「紺屋高尾」がこの日のトリでした。ちょっとファンタジーというか男目線の乙女チックというか、そんなところが好きな噺なんですが(爆)、これが志らく流なんでしょうね、今まで聞いたものとは違うリアルなスパイスがかかってました。久蔵が染め物職人と知った高尾大夫が"騙されたと知って激怒"したり、店に帰って三月十五日を待つ久蔵が"毎日をぼ〜っと過ごし"たり。なるほどなぁ。中入りを挟んで対照的な味わい、ごちそうさまでした〜!