とことん真似して、越える。


明日(6日)は志らくさんの独演会。先週火曜日の談笑さん独演会にはじまって、昨日は本多劇場談春・市馬・昇太三人の会と十日で5人の師匠を巡っています。。。さすがに目ならぬ頭の中がぐるんぐるんしているような気分ですっ。それにしても"浴びる"ことは、見えなかったものに気付かされたり、新たな興味を持ったりと、いろんなものをもらっています。


初めてみた談笑さんは、不思議に目がきらきらしてみえました。その数日後、レポーターとして朝のTV番組に登場した時もきらきらしていて(笑)。六本木での独演会、二席目は「紺屋高尾」をモチーフにした「ジーンズ屋ゆうこりん」でたっぷり一時間。タイトルだけみると、キワモノかと思う向きもあるかと思いますが、架空時代劇的なファンタジーとして楽しんでいた紺屋高尾が、一気に現代でありそうな話(…ちょっとオーバーかな)にみえてきます。裏を返せば自分はそこまで読み込むことなく楽しんでいたんだな、とも思えます。ここまでやってもらえて初めてしっくりくる部分もあり、今までとは違う楽しみ方ができた気がします。。。この時ばかりは、通路を誰かが歩くと椅子が揺れる港区の施設も、気になりませんでしたし(爆)。


昨日は、初めて立川流以外の師匠の落語を聞きました。とはいっても、「あの頃の噺」という企画は、三師匠が前座時代にやった噺を"極力そのままやる"というコンセプトで、かなりの変化球。20年ほども昔のままで…というのは少々無理な部分があるにせよ、「あぁきっと前座の頃からこの人たちの作る空気は、三者三様だったんだろうな」と思わせるには十分なものがありました。前座の頃にやったという噺を中入りを挟んで、ひとり二席ずつ。そして合間にその頃の写真を写しながらの賑やかなトーク。昇太さん、市馬さんは初めて拝見したんですが、三人とも、落語もトークもテンションもリズムもそのまんま。変わりませんねー(笑)。いい感じの組み合わせです。



おまえの噺は、語尾が聞き取り難いねぇ。。。あ、オレが教えたからか!?

なんて柳昇師匠の思い出を披露してくれたのは、春風亭昇太さん。なんでも、首のかしげ方から何から何まで亡き師匠にそっくりなんだとか。ちょっと飛びますけど、今書店に並んでいる「男の隠れ家12月号」は落語特集。もうあれやこれやこれでもかとインタビューが載ってましてですね、その中で

談志になろうというのは、かなり早い時期にあきらめたんです

という志の輔さんと、一方こちらは談春さん。

(真打ち前、悩んでいた時期に)頑張っても談志にはなれないよ、といわれて目が覚めた

立ち読みでうろ覚えの範囲なんで(…ただいま届くの待ってるところなんです)少し違ってるかもしれませんが、こんなことが載ってたんです。何に注目したかというとまず、師匠という存在って何だろうかと。師匠を選ぶ、という時点で無意識に自分の投影をしてるんではないか?という気がするんですね。昇太さんが選ぶのは、やはり家元談志ではないだろうし、逆に談春さんは談志師匠しかなかった(?)のではないか、とか。落語が好きなのは当然として、自分が好きな人を選ぶわけですもんねぇ。そして
 "どの師匠に弟子入りするかを決める→あこがれの師匠をとことん真似る→理不尽なことがあってもとにかく真似続ける(笑)→師匠と同じになることに限界を悟り自らに立ち返る…"
ということを、流派は違えどこの人たちはやって、越えてきたのだなぁ…ということも。その結果が今この時目の前に。聞きかじりですけど、○○道でいう「型」を身につけることの重要性に通じるものがあるのではないかなんてことも思い出しました。越えたその先に、この人たちは花開き、いまそれを思いきり楽しませてもらっている。そのことに大いに感謝!しながら、、、さて明日も(笑)。