覚悟の程と、"取り憑き"@11月の「志らく百席(にぎわい座)」と「志らくのピン(内幸町ホール)」


 定額給付金、現金なんかいらないから、最近聞きにいってる噺家さんの独演会を企画して、チケット2〜3枚くれる方がいいなぁ(笑)。心底笑ったりしんみりしたりした方が、きっとその後の仕事でも生活でも、いい影響があると思うんですよね。。。なんて、強化月間も三ヶ月目に入るとすっかり染まっています。でも、落語にはまっているというよりは、落語を通して感じさせてくれたりみせてくれるものに夢中になってるように思います。ホントにありがたいことです。強化月間への背中を押してくれたSさんにも、感謝感謝です。

でも落語って、ライブで堪能するはもちろんなんですが、終わってからも「あぁ…そうかぁ…」とふとセリフがよみがえってきて二度三度と美味しい。。。って牛じゃないですが、そんなふうに思うようになりました。楽器や音楽的リズムにのった言い回しとは別の力があるように思うようになってきました。さて。先週はにぎわい座、今週は内幸町ホールと続けて立川志らくさん。ここ三回ほど続いた、座席運の悪さ(…前の人に重なって話し手がよく見えない)がやっと終わったみたいです。それにしてもこのお方、いつ飲んだかも思い出せませんが、うまく熟成された白ワインを思い出します。先週今週と、そんなやつを梯子するようなゼイタク感を感じます(←したことないんですが…)。

談春、おまえは名人になれ、名人。志らく。おまえは廃人になれ。オレと一緒に廃人になれ!

志らく百席」のまくらは、お得意の昭和歌謡の話もすれば、酔った談志にいわれたというこんな話を紹介したり。しかし、聞き間違えかなぁ、"廃人"てのはスゴすぎる。でも、この本(↓)にも"志らくは、談志の狂気を引き継ぐ男"といわれているとあるから、あながち的外れじゃない気がしてしまいます。にぎわい座では、「粗忽の釘」「お化け長屋」「薮入り」。内幸町では「元犬」「宿屋の富」「芝浜」。最近思っていることなんですが、志らくさんのすごいところは登場人物に"取り憑く"ところなのかな…と思います。あの、鳩ぽっぽ〜♪という出囃子で舞台に登場する時の志らくさんは、居並ぶ観客が一斉に送る視線をするりとかわしてしまうかのような雰囲気。ところが、慌て者の亭主、動物、おっちょこちょいがかわいい女将…などを演じはじめると(時に)溶け合ってしまったようになるんです。しかもただ溶け合うわけじゃない。乗り移られたんじゃなくて、その逆。みているこちらを引きずり込んでそのシーンが色つきでみえている状態のまま、登場人物たちの言動をしんみりさせたり笑える状態にしたりすることができるんです。うぅ、うまくいえなくてすみません。。。何となく感じているのは、中入り前に二題やる軽めの話では"酔っ払いや子供、動物"に、〆の長めの話は"場面が幾つも切り替わる"噺にこの"取り憑いた状態"が現れやすい気がしてますが、この辺りはもっと通って楽しみたいと(笑)。

笑えるかどうかは、(対象との)距離感によるんです。当事者やその周りの人にとっては悲劇でも、他人事だと笑えるんです。

志らくさんは、一昨日「志らくのピン」のまくらでそんな話を聞かせてくれました。"登場人物に取り憑く"と感じたのは、この"距離感"をうまく操っている状態、といえるような気がしています。人物や動物と一体化しながら、でも最後の部分は自分を見失わないぞ!っていう。落語を通じて、人ってどんなものかをいつも考えてるんじゃないのかな…と想像しちゃいます。


さて。ぼくは全然知らなかったのですが(汗)、最近では年末といえば第九というように、落語会では芝浜がよくかかるんだそうですね。なんでだろう?話のオチが大晦日から元旦にかけてのシーンだからかな。でも敢えて志らくさんはこう言いきりました。

さぁ、今回は「芝浜」。数年前に一度やりました。駄目でした。今は誰もかれも平然と「芝浜」をやっている。…はっきりいって「芝浜」は凄い落語ではありません。…主人公の魚屋が、改心してその後の人生を平穏に暮らしましたとさ、感じる「芝浜」ならば失敗です。

志らくのピンではいつも、演目表の裏に志らくさんがあれこれ綴ったものが配られます最初ビックリしました。演目があらかじめ告知されているだけでもビックリなのに。で、今回はそんなことが書かれていました。これを読んだのが、会が終わった後で良かった。前に読んだらそれに引っ張られてしまっただろうな…って気がするんです(結構影響されやすい性質なんです、ワタシ)。それにしても、この覚悟の程。ご本人は終えられてどう思われたか分かりませんが、涙腺に刺激を受けつつ何度も思いきり笑わせてもらいました。来月は、十五日にまた!


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