iPhoneで半年〜デジタル情報を再び感覚的に扱うこと

手で描くことは、感覚的な行為

視覚や聴覚や嗅覚といった五感、引っ張られるような感覚などそれ以外の感覚。そういう中から複数の感覚を利用したインターフェースのことを、マルチモーダル・インターフェースと呼ぶのだそうだ。紙やホワイトボードにペンを使って書くということは、力の入り具合やその反応としての線の太さ、あるいは面と接する滑り具合やそれによって異なる音など、様々なことを予測したり体感しながらしているのだと思います。それをマルチモーダルなものといえるのかどうかは、門外漢なのでわかりませんが、少なくとも感覚的なことだといえるのではないでしょうか。

キーボードで入力することは、最大公約数に似ているのでは

例えばホワイトボードに手書きで書きなぐったものを清書すると、随分と印象が変わりますよねぇ。あれ、何なんだろう、何が無くなっちゃったんだろうって。そして、ポストイットでペタペタやっていたものが、一件一行でワードの文書になった時も、同じような感覚が味わえます。昔、インタビューをしたことがあるコピーライターの方は、「フォントで表現しちゃうと最終完成形に見えてきちゃうから敢えて手書きでやっている」といわれていましたが、これも同じ感覚だと思います。いってみれば、最大公約数に変換することは、固有のものは削ぎ落とすからできる、ということなのだと思います。それは同時に、多くの人に伝えられるという可能性を手に入れていれることのだと思います。

デジタル情報を、もう一度感覚的なものに

先日のiPhoto'09の顔認識シャッフルは、例え自覚していなくても、写真を眺めている自分の感覚が時間の順序を当たり前のものとしていたことを気付かせてくれるものでした。いったん気がつくことが出来れば、そういう尺度で写真を眺めたり、それを崩したりすることで、新たに見えてくるものがありそうな気がします。そこから思い至るのは、最大公約素敵なデジタル情報であっても、再び感覚的に扱えるようにすることができるのではないか、ということです。
iPhoneの場合は、写真やアイコンなどを指先で動かせる、というよりは"動かしているように感じさせてくれること"がポイントなのではないかと感じています。写真を捲っていて最後のページまでくると、次のページがあるかのようにちょっと進んでボヨンと跳ね返るように戻ってきます。これ、ギミックだと思っていましたが、今回の内容をあれこれ考えている中で、実はとても奥が深いのではないかと考えるようになりました。飛躍しすぎかもしれませんが、ディズニーアニメの"ある動きの前に、逆方向の動きをホンの少し入れるという特徴"を思いだしちゃいます。単にタッチスクリーンを搭載しただけであれば、マウスを使ってクリックしたりドラッグすることを指でできるようになることに留まると思うんです。でもiPhoneでの操作は、PCでは出来ないことをしている感覚があって、そう感じられるってことはすごいことなんだなぁ…と改めて思います。

感覚的に扱える(iPhone以外の)デジタル情報の事例〜Mandl-Art(for Palm)

一度デジタル化されて最大公約数的なものになった情報を、再度複数の感覚を使って扱えるものにしてくれるものの事例の一つはiPhoneなのですが、それ以外ではMandal-Art(for Palm)です。Mandal-Artは知っている方が少ないと思いますが、"9個の正方形で構成された正方形"のカタチをしたメモ帳です。この9個の正方形は自由に動かし入れ替えることが出来、また一つの正方形はその下に9個の正方形からなる階層と、それ自身が9個の正方形の一つである上位の階層につながっています。。。言葉で説明するのって難しいなぁ(苦笑)。
このツールの特徴の一つは、"言葉や文章を配置・位置関係でとらえることができるようになる"こと、二つ目はポストイットのように"書いた言葉や文章を動かせるようになること"、そして三つ目は紙には出来なかった"階層構造まで含めた配置でとらえたり、動かすことができる"ことです。この、配置を変えられる=動かすということが持つ力は、いろんなヒントをくれる強力なものだと思います。カードやポストイットを使われる方なら実感されていることでしょう。つまり、デジタル化されて"フォント"に変換されたメモが、動かせるようになり、しかも階層構造も作れるわけです。しかもそれがスタイラスでタップしたり、ドラッグしたりできるわけです(指でも出来ます)。

段階で、動かし方を使い分ける

iPhoneにもMandal-Artにも共通しているのは、情報を動かすことができるということです。それもただ動かすのではなく、いろんな感覚を使えるようにように、例えばそのためにカタチを伴って動かすことができるということです。考えるのか、伝えるのか、表現するのか。自分一人か、相手がいるのか、それはひとりか大勢か。例え、一つのツールを使っていても、それらによって使い方(の力点)を変えることで、その効果がより発揮できるのではないか…そんなこと考えています。(…続く?)