志らくのピン 夜空で楽しむ 七夕夜(2009年7月7日、内幸町ホール・東京)


何だかと〜っても久し振りな気がしてしまう、志らくさんの独演会。一ヶ月の間が長く感じてしまいます。禁断症状でしょうかね〜。あはは。あぁ、朝から気になるったらありゃしない。そわそわ。ところでですね、会場で次回分チケットの一部を販売するというのは、なかなかいい方法なんではないかと思います。来たい人が、確実に手にしますもの。逆に、満員御礼の札がかかりながら、前から5列の中に20席近くの空席がでてしまった国立演芸場の談笑さんの独演会。ここのところ、毎月だものなぁ。やりにくいと思うんですよね。なんだかなぁ。もとい。らく兵さんの「十徳」で幕が開きました。この方、何だか印象に残ってます。きちんとやろうとするあまり、小さくまとまっちゃうみたいな感じは、ないようにみえます。


志らくさんの会は、全体を通してストーリーが設定されてるように思います。今回は、最近の実話ながら、ちょっと現実離れしていく"雨の日比谷野音で、首を揺らしながらうごめくてるてる坊主の群れ(笑)"で枕が始まり、"ちょっと飲んでくる"という家元と苦しくてたまらない志らくさんの胃カメラ体験へ。これで時間や現実の感覚が、薄れていきます。そんな前菜から、"落語ならではの、バカバカしい噺"という「代脈」「疝気の虫」へ。


「観客にとってロックは感じるもの、落語は意味を受け取って自分で描くもの」今度出演するという、ZAZEN BOYSのコンサートで改めてそう感じたという、志らくさん。確かに落語家は、聴く側が言葉を受け取って、絵を描きやすくする工夫を、あれこれちりばめてくれているように思います。もしかしたら、この部分で噺家と客の間の"相性"みたいなものが出てくるのかもしれません。
どうしようもなかった玄関番の銀南が、二つめの噺でも登場、無事一人前(?)になっていきます。弟子は、育てようと思ってもダメ(代脈)なのですね。自分でなんとならなくちゃ(疝気の虫)。それにしても、恐るべきは、疝気の虫を演じる、厶志らくさん。座布団の上にいるのは、カブトエビか、ビラ星人か(笑)。


手始めに、ちょっと強めのカクテル二杯、ぐびりとやって、中入り。トリは「たまや」。ぼくは初めてだったのですが、ネタ帳を拝見すると、2008年、2007年も、割合コンスタントにかけてる噺のようです。見たことは無いのですが、「天国から来たチャンピオン」を下敷きにしたシネマ落語なのだそうです。天の川で見つめ合う?二人を、意識してるのかな。
「アぉうっ!」達吉の様も、今や定番のひとつですね。賑やかな慌て者だけじゃなくて、"目の綺麗な"江戸っ子も、これでいけるんだなぁ。それにしても、この神様、もともと何を仕事にされてる方なんでしょう(笑)。
物語は、二転三転。映像で見ると、かなりドラマチックに状況が変わるんだろうなぁ。でも自分なりに描きながら、ストーリーが流れてくると、引き込まれ方も、映画のように全部ぐいっと持ってかれちゃう疲れのようなものはありません。
新作落語というと、舞台は現代…だと思ってたんですが、こんな噺もいいですねぇ。そういえば、三月に聴いた「吉良の忠臣蔵」も。イメージですけど、映画も舞台も、今を描いているようでいて、そんな制約はないようにも思います。志らくさんにとっては、自然なことなんでしょうね。なるほど(←勝手に納得)。


。。。駅を降りると、花火ならぬ、月が雲間に出ていました。「た〜まや〜っ!」