皆既日食ライブ、近日開演!


昨晩は、23時過ぎに上ってきたばかりの下弦の月が、綺麗に見えました。風が強かったせいでしょうね。昨朝の富士山も久し振りでしたしね。明けて今朝。相変わらず、衛星画像や週間予報を、あっちのサイトでこっちのサイトで見ては、ドキドキ。はらはら。
15年経つと、ほんとにいろいろ変わりました。情報源ったら天文の雑誌ぐらいしかなかったですから。一部、パソコン通信ぐらい。天気だって、せいぜい統計情報。もう、自分で言っていながら信じられない、ちょっと昔。
でも、結局、自分じゃどうしようもないもの(天候)が相手なわけで、その相手に関する情報が、質・量ともに十分あっても、ツアーや行き先を変えることまで考えていないのなら、ドキドキ以上に実質的な意味はありませんね。年末ジャンボ宝くじを手にしながら大晦日のことを考えている…のに近いかも。あはは。


そんな逡巡の果てに我に返ると、床に散らばっている、久し振りに引っ張り出した望遠鏡やら器材やら。それを眺め、何で目で観るだけじゃ満足できないんだろう…なんて考えてみたり。軽量化されたとはいえ、重いのですよ。かさばるのですよ。多分スーツケース、ぱんぱんです。わずか6分程度のための、もの達。バカにしかみえないですよねぇ。あは。

あるものを理解しようとして、部分に分けていっても、そこで失われるものがある。
だから、部分に分けた情報をどれだけ集めても、元の全体とは同じものにならない。

というのは、生命について福岡伸一さんが書かれていたことだったと思います。"皆既日食"という全体を、思う存分味わおうとして、目で見て、写真を撮って、もう一台のカメラでも撮って。時間でどんどん分けていく。でもそれは、部分情報が増えただけ…ともいえるのでしょうね。じゃぁなぜ、そうまでして撮影をする?と聞かれたらどう応えるか。でも、目では見えにくいものが、カメラを通すことでわかる、のも事実。いろんな"目"で全体を味わっている、ということなのかもしれません。


前に書いたように思いますけど、自分がその場にいて楽しんだ落語会のDVDを、改めてみてもぜ〜んぜん楽しめないのは、目と耳からだけしか、味わえなくなっちゃってるからだと思います。でも、"ライブ"って違いますものね。目で音を見たり、耳で場面を聴いたり、とか。もう、肌まで使って感覚総動員。落語は、例え知ってる噺でも、引き込まれ、笑っちゃったりしんみりしたりする。それは、そうやっていろんな感覚をたくさん使ってることの心地よさに繋っているものだからなんじゃないかと、思うのですがどうでしょう。そう、料理を食べる時みたいに。だから、同じレシピでも、シェフによって出てくるものが違う。ということで、落語家を選ぶのには、意味があると、思うんです。


さて、と。15年ぶりの日食は、どんなふうに味わえるかなぁ。楽しみです!




ところで今回の皆既日食は、いろんなサイトでいろんな中継(?)が行われる予定です。とうとう、iPhoneでも中継が見られるとか。15年後は、どうやって見るようになってるんだろう。
- Live Exlipse 2009  http://www.live-eclipse.org/
- 皆既日食中継プロジェクト  http://www.astronomy2009.jp/ja/project/eclipse/index.html
- 7島中継プロジェクト  http://eclipse.cc.kagoshima-u.ac.jp/?page_id=9
- トカラ皆既日食中継プロジェクト  http://eclipse2009.synapse.jp/
- 2009部分日食画像共有プロジェクト  http://www.ioa.s.u-tokyo.ac.jp/~handa/nisshoku2009/


 
 いい天気でありますようにっ〜!