分けずに、混ぜる〜iPhoneで一年経って


もうすぐ、出発します。。。天気予報は、かなり悲観的な、中国。まさに、祈るような…気持ち。天気予報では"晴れ"じゃなくても、雲が"そこだけ"切れてくれればいいんですけどねぇ。


さて、今回海外ローミングは使わないつもりのiPhone。本当に自分でも驚いてます、ここまで頻度を保って使い続けるとは、思ってませんでした。携帯電話を使っていたころは、ごく決まった使い方に限定されちゃったのに。最近は、iPhoneだと画質が落ちるのがわかっているのに、デジカメを鞄から取り出すのさえ、億劫になってきちゃいました。今までに使ってきたものと、何が違うのか。それは、行為を"混ぜる"ということではないかと、今は考えています。


iPhone以前に、自分の変化として似たものがあるように思っていたものの代表格は、DSlite。でも、この両者、自分の行動を振り返って比べてみると、結構違うものだったんだなと思います。DSは、それだけをやる時間をどうやって作り出すかが続けるために必要でしたけど、iPhoneはいろんなことをしながら、一緒に使えてしまうのです。


ぼくにとってのDSは、(ソフトの数だけの顔を持つ)専用機でした。本を読む、MDプレイヤーを聴く、あるいは、コンパクト、防水、一眼といろんなデジカメを持っていて、次の旅行ではどのデジカメを持っていこうか…というような。常に、"あることを集中してする"ための、ツールだったわけです。その何かが、明確であればあるほど、行動の動機になり、それが続くというわけです。
そんなわけでTOEICを受ける1ヶ月前に、集中して使ったのが、一番長く使い続けた時期だったと思います。毎日朝晩やってました。顔トレもそこまではいかなかったし、エレクトリック・プランクトンは元々四六時中楽しみたいわけじゃなかったですし。辞書は、もっとも早くお蔵入り状態。
操作には両手を使うことが必須なので、携帯できるサイズではあったですけど、家の外に持ち出してまで使うことはありませんでした。


iPhoneは、新しい携帯電話という言い方をされることがありますが、それはPCのことを、新しい電卓というようなものじゃないかと思います。自分の知っているものに置き換えると、概念として取っつきやすいけど、危険もあります。
PCを使っていると、調べものをする→関連情報に目が留まる→リンクに飛ぶ→さらに派生情報へ…というようなことが、起こってしまいます。最初に何を調べるつもりだったかが、飛んじゃう(笑)。これは、みなネット上にあって、繋がっているからなんですが、あっちの世界に入った途端に、自分の意識も怪しくなってしまいがち。ところが、これが自分の掌の上にあると、何か違うんです。あっちの世界にあるものもあれば、手の中にあるものもある。でも、そのありかは気にしないでいいんですが、PCの時のように画面に吸い込まれることなく、自分(の意識)が保てるようにも思えます。


 時間の使い方を、どう変えていくか。情報が溢れてしまっているから、何かの方法で選ばないといけない。従来からのやり方を変えずに保つだけでもいいんですが、それじゃもうダメだと感じたら、どうするか。
自分で何か行動しなくても、自動的に必要な情報だけを選別して届けてくれるようにするというのが、ひとつ。いくつかのことを、あたかもパラレルにやっているかのごとく、連続して行えるようにしていく、というのがもう一つの方法じゃないかと考えています。
分けるのではなく、混ぜる・繋げる・連続させる。それが、やりたいことを、できるようにするための、道なのじゃないかと。iPhoneは、読んだり調べたり書いたり送ったりすることが、分割されずに溶け合っているような感覚でできています。そこが、DSと似て非なる点なのではないか、と。PCとの使い勝手の差が、今よりも少なくなると、もっと滑らかにいろんなものが混ざりあう気がします。となると、次に変化するのはPC(Mac)の方かも知れません。


さて、この先、どうなりますか。。。まだまだ、楽しめそうです!