シネマの次は、演劇合体@立川志らく・演劇らくご「鉄拐〜上海楽園(パラダイス)」


日曜日(16日)に、演劇らくご@紀伊国屋ホールに行ってきました。志らくさんが最初に落語、その後、志らくさん率いる下町ダニーローズが後日談を舞台でやっちゃう…というもの。今日、月曜日はその楽日。さてどうだったのでしょうね、最後の公演は。都合がつけば、もう一度行きたかったなぁ。

落語だと、チケットは秒殺なんですよ。でも、今日は、ほら、空席がある。みなさんは、ここで落語を聴くというとっても貴重な体験をするんですよ。

つられて笑っちゃっいましたけど、やっぱり何だか寂しいですね(苦笑)。だって、入り口からずらりと並んでる花は、むせ返るほどの数ですし。
演劇だとチケット売るのが大変ということもあって、今回は落語+演劇という新機軸を考えたと。それならば…とホイホイやってきたのですが、なかなか難しいのですねぇ。多くの人が、ちょうど夏休み中ってこともあるのかもしれませんが。

鉄拐っていう噺は、談志の後にやるやつがいないんです。なぜかっていうと、難しい割に面白くないんです(きっぱり)。だから少しでも面白いと思ったところでは、どんどん笑ってくださいよ。

この噺を聴くのは、今日が初めて。落語なのに、なんで、中国。しかも、個人的にはまだ辛い、上海(涙)。中身だって、不思議な噺。空也上人像がごとき技を身につけた、鉄拐仙人。仙人とはいっても、やはり落語の登場人物です。妙に生臭い、というか、まだ人間じゃん…としか思えない言動の数々。主人公かと思えば、もう一人仙人が登場しちゃうし。設定は固有名詞ですが、ナンセンス・ギャグですよね、これ。マンガならば慣れてますけど、それを語りだけでやるのは、いかにも難しいだろうなぁ。6月の独演会(志らくのピン)で聴いた、二人旅〜萬金丹に通じるものも感じますが、あの時はもっと身振りや擬音などで演じる巾がありました。こいつは、聴くほうだって、構えたり考えたりしてたら、通り過ぎて終わっちゃうよなぁ。そんなわけで、冒頭の志らくさんからのアドバイスだったんですね。納得体得。


後日談では、その人間臭さにさらに磨きがかかったストーリーでした。その昔、修業前の人間だった時に、別れた恋人もいれば、今でもそれに未練もしっかり。再会あり、友の裏切り(?)ありと二転三転。駄々は捏ねるは、拗ねるは、焼くは。おまけに戦争も、絡んでて。みんな、落語の人物みたいに勝手に動いてて、どたばたで、昭和歌謡で、えっそうなるのかと驚いたり。それにしてもみなさん、よくぞその役にはまりけり!その後日談・上海楽園(パラダイス)のインパクトが強くて、どこまでが落語の筋だったんだっけって、初めて聴いたこともあって、しばらく考えないとわからないぐらい。あはは。


イメージの中にある落語って、かなり範囲を限定したものなのかもしれないです。実は落語って、もっと守備範囲の広い芸能だったんじゃないでしょうかね。でも現代じゃ往時のそれを、そのまま再現するのは、制約があったり適していない部分がいろいろある。例えば、これも志らくさんが冒頭でいっていたことですけど、メディアでは自主規制も含めて使えない言葉がたくさん出てきてる。だから、日常会話が普段の言葉じゃできない、って。そんなこんなで、こんなふうに、今様の新しい表現を試行してる一握り(?)の人たちがいる…そんな気がしてきました。


そんなわけで、終わった後の余韻が、落語会とは異質。歌舞伎やバレエなどをみた後とも何か、違う。あれ?なんでじぃ〜んとなってるんだろ、わからないよー。色があって立体的、新しい形式の新作落語と言えるのかな。落語って元々は、日常的なことが題材だから、え〜いもう一度どんと日常に戻しちゃえ!ということかもしれません。いまだに言葉にうまく落としきれませんが、なんだかいいもの観たよなぁ…っていう余韻が、しっかり残ってます。


打ち上げ花火が(瞬間芸的な)漫才みたいなものだとしたら、今日の演劇らくごは五山の大文字送り火みたいだな…と、家に帰ってほぼ日のライブ中継をMacで眺めつつぼんやりと思い、頭の中はワインに犯され、夏休み最後の夜は更けていったのでした。
あ、久し振りにシネマ落語の会があるんって、もらったチラシに。演劇後のシネマは、どうでるんだろう。そっちも期待!