iMandalArt、登場〜フローとストックの階層を掌に


先日、小学6年生の姪から、夏休みの宿題への協力要請で、こんなメールが届きました。「仕事の内容はなんですか」「どうしてその仕事を選んだのですか」「仕事で楽しいことはなんですか」…。いや〜苦しかった。普段会社で使うような単語は、その背景の説明まで必要になるから使えない。でも、当たり前にいつもしていることを、働くという経験の無い彼女に改めて説明しようと思うと、結構深いところまで必要になる。日常の言葉で、どうやってそれを表すか、結局土曜日丸々一日費やすことになりました。でも、自分のしていることを、再確認するいい機会をもらいました。感謝。


3行3列の9つの正方形にメモできる、Mandal-Art(というアプリ)。ところが、説明が難しいのです。どれぐらい難しいかというと、う〜ん、例えば、沖縄の豆腐ようを知らない人に、あの複雑で奥深い美味しさを伝えるにはどうしたらいいだろう…あら、かえって分かりにくい!?...と、ともかく、自分にとっては空気や水みたいになってしまっているこれを、改めてとりあげてみようと思うのでありました。


紙の手帳を使ってる人は、多いでしょう。すぐ書ける、すぐ確かめられる、どこでも持ち歩ける。ふと思いついたことを、とりあえずメモする、なんてお手の物。で、そのメモしたことを"次の仕事で試してみよう"なんていう時に、ポストイットみたいに、新しい仕事のことを書いたページに、動かせたらな〜って思いません?え、千切ってるって。なるほど。
あるいは、明日の会議で「このことは、質問しなくちゃ!」とか、わざわざパワポで資料作るほどじゃなけれど「こんな流れで説明してみよう」なんてこと、手帳のスケジュール(最近だと、Webも使ってるかもしれませんが)の横に小さく書いたり、別のノートにメモしたりしません?
だとしたら、ですね。そういうメモが「明日15時からの会議」というスケジュールにリンクできたら…どうでしょう。会議の直前まで、そして最中にも、思いついたことをどんどん足したり変更したり、し放題だったら。さらに、その会議の決定事項と宿題をメモしておければ、それは簡単な自分なりの議事録にもなりますよね。次回の会議の日程を書き込んで、宿題をそこにコピー・リンクしておくことも、その宿題を明後日やるとしたら明後日のスケジュールにもコピーして貼り付けておけたら…。Mandal-Art(iMandalArt)の特徴のひとつは、リンクさせたり、関連するものを集めたり、さらに展開したりが、手の中でいつでも自在にできるメモ、といえると思います。


ところで書き留めるというのは、そこで(いったん)ストップさせることでもあります。本に挟む栞のように。ですから、改めて内容を進めたり、変える時には、消したり、書き加えたり。でも、場所や関係をを動かそうと思ったら、書き直したり、破いたり。手間かかりますけど、それがリアルなモノの特徴のひとつだと思うんです。
ところが、頭の中はちょっと違うような気がします。何かを考える時、あっちへこっちへ行きながら、連なって、浮かんだり消えたりしながら、流れています(脇道にそれると見失ったりもしちゃいますけど)。それを行為にすると、例えば紙を何枚も使い次々と書きなぐり、キーボードなら打っては変え打っては変え…と連続した行為の末に、何かがみつかるのだけど、翌日改めてそれを見ると、また変わっていく…なんてこと、珍しくない。
この頭の中で考えることと、それを書き表すことの間には、ギャップがある。なにかが、拾いきれずに落ちていく。あるいは、スムーズな流れが妨げられてる。


デジタル形式になると、言葉やイメージは動かせる状態のまま、"仮留め"できるようになりました。止まっているように見えても、いつでもまた動かせる。冷凍と解凍を瞬時に繰り返せるような、あるいは時間の早い遅いを自分でコントロールできるような。
同時に、同じデジタルでも、"キーボード+モニター"と、"手の中のタッチパネル+ペン"という道具の違いが、こんなに大きなものだとは、自分で体験するまで想像できませんでした。自分の身体が頭と一体化して、ダイレクトに操作している感覚は、ほとんど快感といっていいものでしたから。


今はほとんど知られていない、palmという携帯ツールでMandal-Artができるようになった時、毎日どこでも持ち歩き、スイッチオンした瞬間にかける環境が生まれました。ポケットに入れて持ち歩いているiPhoneでは、とうとう片手で文字が"書ける"ようになっちゃいました。これは、ペンと紙では不可能なもう一つのことだと思います。こうして、ツールが変わるごとにデータはそのまま残っています。いまのところ、iPhoneに移動はできないから。元々の"ストック"が意味するものとは少し違うと思うのだけれど、"フロー"が"ストック"になってしまった。palmの中ではあれだけ自由に動かせるデータが、水槽という限定された範囲で泳いでいる、金魚のように思えてきます。


いろんなものの間で、あるいはそもそも情報や考えは「止める・貯まる」ことと「動かす・産み出す」ことが、表裏一体というか、階層のように連続しているように思えます。どちらかだけに向いているやり方や考え方は、より頭と身体に沿ったもの。そんな気がしてならないんです。心臓が、収縮と発散をいつも繰り返すことで、細胞が常に分子レベルで入れ替わりながら自身を維持することで、命を保っていることにも通じるカタチとも重なるようにも思えます。


さて、どれだけ関心を呼び起こせたかなぁ。自分でも何日か経ってこれを見直したら、またあれこれ手を入れてる気がしますが、まぁ、それは新たなフローでもあり、デジタルのメリッということで。。。(笑)。


※iMandalArtの動画デモは、こちらに。