twitterで、変わるかもしれないもの


4月ごろから、twitter(ついったー)をなんとなく、始めました。twitterがどんなものかというと、"1回に最大140字しか書けない、mixiみたいなもの"。で、mixiとの大きな違いは、外に対して"閉じていない"こと。すみません、説明になってませんね。それぐらいにしか考えずに始めて、でも、いまだに毎日使ってるんです。自分にとっては、それが感じている特徴の一つであることには、間違いないんですが。

iPhoneがあるから、twitter

このtwitterをやるようになって、iPhoneを手にする頻度も時間も、さらにグンと増加(これは、多くの人がそう書いてますけど、ホントにそう思います)。twitterの面白さは、例えば、街歩きに似てます。雑踏の中を歩いていたり、道に突き出したカフェでぼんやり眺めているような感じ。近くのものも、海外からも、いろんな会話が聞こえてきます。で、自分も時々何だか口にしてる。それも、特定の人のものだけを耳元に届くようにできる。
iPhoneを使っていない方に、伝わるかどうかわからないですが、とにかくこの二つは相性がいい。画面の大きなPCでやるよりも、いい(敢えて、いい切りましょう!)。PCがなんでもできるマシンならば、iPhone上で動いてるアプリは、単機能みたいなもんです。でも、だからこそ快適。モニターサイズにぴったりと収まって、必要な選択や入力をすればいい。Googleがキーワード入力用の窓しかないっていうのが、これい近いかもしれませんね。PCでは無料でできること(例えば、「乗り換え案内」とか)のために、例え数百円であっても、iPhone専用アプリを買うのは理解してできないかもしれません。でも、やってみるとその違いに驚くと思いますよ。スクロールの必要もない、ツールにぴったりあった画面構成や、見え方や、使い心地(←インターフェース)は、こんなにも気持ちいいものなのかって。

それまでのものと、似て非なるtwitter

ワードとかエクセルとかは、PC以前から作られてきた書類を作れるようにしたものだし、パワポもスライドを模したもの。どれも、PC以前からあったものをPCでより効率的にできるようにしたもの。なじみやすいし、何に使うかわかりやすいけれど、"紙の書類"を暗黙の前提にしているから、例えば、初期設定はA4サイズになっているとか、プリントすることを前提にぎっしりいろんな情報を詰め込んじゃう資料が多いとか、そういうことにも繋がっているように思うのです。メールも、いってみればテキスト版留守番電話だし、メモや手紙の置き換え的なもの。これらに共通の傾向は、"量を増やすことに向いている"けれど、"量が増えることに対応できない"ことだと思ってます。何かをした時刻に順番をつけるなどして、量が増えていくものになんとか対処していたように思います。
これが、変わってきたと感じたのは、ブログ。紙のサイズとは関係ない世界で、個人毎の時間軸で流れてゆく(そういえば、巻紙というのはスクロールするもので、絵巻物などの時間の連なりは、ユニークな気がします)。更新も修正も、いつでもできるし、リンクやトラックバックみたいなことができるので、絶対的な時間尺度での新しい・古いというものが揺らいできた。"検索"が当たり前になってきたことも、影響してるでしょう。PC上のアイコンや呼び名などにはまだ残っているものの、旧来からの"紙"類ののメタファーは、(ほとんど)意識しなくなったんじゃないかと。
さて、twitterミニブログなんて紹介されることもありますが、自分の実感としてはずいぶん違います。まだうまく言葉に落ちてこないんですが、ブログが"どこかで店を構えている"とすれば、twitterは"歩いてる"ような感じかなぁ。"紙"からはもちろん、"場所"からも自由になったような。これは、iPhoneとの相性の良さが効いてる気もしますね。メモにもならないようなこともかいたりして、時間の流れ方がブログ以上にマイペース。気持ちの緩急や、書く量の多少もあるし、なにより時計の文字盤を意識してません。これには、書きこんだことが"△分前"とか、"約○時間前"なんて表現されていることも影響してるかもしれません。それと、"フォロー"という、利用者同士の繋がり方にもあると思います。フォローしてる人たちの中に、アメリカ、フランスやオーストラリアの人がいるので、夜とか昼とかという感覚もその中では希薄で、朝起きると昼の世界のあれこれが、たんまり溜まってます(笑)。

発散のリズムに近いtwitter〜変わるのは環境か、自分か

ブログを書くために時間をとることと、他のやりたいことをやるための時間を作ることのバランスが、どうにもうまくとれない悩みを抱えたまま、twitterを始めちゃいましたから、その余波は推して知るべし(苦笑)。でもですね、最初の目論みは逆だったんですよ。twitterでちょこちょこと書いておいて、後からそれを整理すればブログの記事になるんじゃないかって。ところが、twitterで書いたことを、後からまとめようとするのは思ったよりも(ぼくには)難しかった。発散するにはとってもいいツールだけど、それを収束させるのは何か工夫が必要。また新たな課題を抱えることになってしまいました。改めて3×3というカタチでいい制約を作っているが故に、発散と収束がいったり来たり出来るMandalArtは、凄いツールだと(そういう点ではiMandalArtはまだ、発展途中ですね)。
そしてそんな発散的なリズムに身を任せていると、困ったことに(?)メールが辛くなってきちゃったんですね。いえ、ちゃんと使ってますよ〜。でも、twitterで感じるゆるさやリズムに比べると、息苦しく感じるような。逃避だと思いますが(笑)。これはどうなっていくのか、自分のことですがちょっと興味があります。twiterも、どれぐらいかは分からないけれど、いつかは別のツールにその役割を譲る時がくるのでしょうから。それまでの間、twitter、ちょっと体験してみません?(もし、どんなことやっててこんな事を書いちゃったのか、覗いてみたい方は、ここでtakachyという名前を探して下さいね)


…あがっ!今度は、セカイカメラがやってきた!