言葉で表現できない凄さ、iPhone


偶然にもiPhoneをいじる機会に恵まれた。もちろん電話やネットは使えなかったけれど、想像していたりもず〜っと薄く、手で持つとそれなりの手応えを感じる(重いということじゃなくて、存在感というような)。普段遣いのツールとして違和感ない。指であれこれいじりながら、”お〜ウェブでみていたムービーと同じ動きだ!”なんてバカなことを思いながら、ふとiPod miniのことを思い出した。当時初代iPodを使っていたけれど、新機種発表のリリースをみてもネットの記事を見ても冷静だった。ところが、たまたま発売直後に出張でサンフランシスコに行きAppleStoreでサンプルを手に取ってしまったのだ。もうダメだった。欲しくて欲しくてたまらなくなって、でも店には品切れで買えなかった。あの手にすっと収まるサイズ、重さと質感、そして色。全てが心地よかったんだよな〜。あの時の感覚は不思議だった。スペックは既に知っていて、自分では"片づけた"つもりになっていた。なのに。。。結局出張から帰る時には駐在員に個人的に頼んでいたのだ。

  

電話、じゃない。Mac、でもない。既に消費されてしまった感があるけれど、PDAというのが一番近いかもしれない。でも。従来のカテゴリーで何処に当てはまるかを考えても意味は無いんじゃないか。そう思わせる、力を感じる。小さな画面で小気味よく、なんとも小憎らしいまでにチャーミングに動いている、jpg化されたパワポのプレゼン資料やiTunesでCoverFlowを指で動かしていて、iPod miniの時以上に、この小さなツールの魅力を言葉にすることができなかった。指先と脳が面白がって夢中になり言葉を考えることを放棄している、そんな感覚なのです。でも、一番スゴイと思うのは、そんなモノを大勢のメンバーで作っていける=コンセプトを言葉にして伝えていけるAppleという存在。そして世間に向けては従来のカテゴリーをうまく使い「これは電話だよ」というネーミングをつけて送り出している。けれど手に取れば、これはそんなものじゃないことが分かる。いやはや、大したものだよなぁ。


今は当たり前のようにカテゴライズして理解している商品がしばらくすると全く違う切り口の登場で陳腐化してしまっている。。。例えばある先行的なWebのサービスが次々と新しいものに取って代わられてそれ以前のことがあっという間に記憶から消えていく。そんなことを、もう少しで体験することが出来る。そんな気がしたのでした。うぅ。。。でも、そんなことはどうでもいいから欲しいよ〜っ!!