続けることの新しさ@天ぷら・いもや(神保町界隈、東京)


「いらっしゃいませ、、、、定食でよろしいですか?」


「いらっしゃいませ〜」
「定食ね」
「はい、定食一つ!」


スッキリとした木のカウンターだけしかない店内。ひっきりなしにやって来るお客に相対するのは、3人。この構成は昔から替わらないですねぇ。天麩羅担当のおじちゃん、勘定や給仕などを主に受け持っている若いお兄ちゃん、普段は奥の方にいて「おひつ〜!」なんて声がかかると出てきてきびきび動くおばちゃん。とはいっても、おじちゃんはスキを見つけて洗いものもするし、いい具合に分担しあってます。変わらないといえば、春菊、海老、烏賊、キス、カボチャという内容も、目の前で揚げたての天麩羅を食べて蜆のみそ汁と丼ご飯で600円という値ごろ感も。そしてこれらはこの街に何軒かある”いもや”どこでも同じ。神保町に来たのは初めてという若い同僚は、食べ終わって店を出てきて「気持ちのいい店だし、何だかいろんな意味で得をした気分だな〜」と口にしました。


正直にいうと、この店のことは冷静にはみることができません。駿台に通っていた昔、毎日食べてましたし、神保町の街そのものが東京の中でかなりお気に入りです。改めて思い返してみると、何より”自分で店を選んで外食する”体験の原点といってもいいところなんです。外食体験というだけでなく、ある時期烏賊のサイズが小さくなったりすると”あぁ多分、烏賊が高くなったんだろうな。材料費って変動するもんだよな。。。”とか、そういうことも含めていろんなことを感じるきっかけになっています。


それにしても、少なくとも数十年は続いているこの店は、古びれたりくすんできたりという"停まってしまった感"を全く感じさせません。今でもそういう店が変わらずやっているということの嬉しさったらないですね〜。大学生のころに毎晩のように通ったラーメン店をはじめ、よく行った店は、その後チェーン展開をはじめてしまったり、いろんな事情で少しずつ変わっていきました。そうなると、数年経ったらやってるのか閉まっちゃってるか分からないことが珍しくないのが、東京の日常的風景です。バブルの地上げ時期に変容しかけたこの街に、それ以前と変わらずいまでも白い暖簾を毎日出してる「いもや」たちには、まだまだ元気であってもらいたいのです。