ライブな異界、西表島


北回帰線まで緯度であと僅か1°、沖縄本島の次に大きな島、西表島。本島よりも台湾の方がずっと近い。沖縄の主な島で訪れるのは四島目ですが、他の島とは何から何まで印象が違う島でした。例えば、水が豊富。川が多く、道路を走っていても滝が見えます。あちこちに田んぼがあります。その向こうには海という不思議な光景です。そしてこの水が、なかなかいけるんです。石垣の醸造所にはこの水を運び込んで泡盛をつくっているところもあるぐらいです。サンゴ礁由来の沖縄の島で水が美味い!なんて思ってもみませんでしたねぇ。


90%が亜熱帯の森林で、8割は国有林だとか(wikipedia)。マラリアで苦しんだ島の歴史が、そういう環境と関係しているのでしょう。主な道路は県道215号線一本ですが、島の南から北西辺りまでの海沿い3/4位でしょうか、周回せずに走っています。島を時計に見立てると12時の辺りにあるのが、上原港と上原の町です。5時の辺りには大原という港があり、この二港が石垣島との船便の着くところです。冬の時期は上原港と石垣を結ぶ便がよく欠航になるそうで、ぼくが向かったこの日もそうでした。この二つの町の小学校のそばに一つずつ信号が。日本最南端の信号機とバス停は、この島にあるんですね。

生命力の濃さ


ホテルの部屋でボ〜っとしていても、たまに通る車を除けば音の主は、鳥に牛や時々山羊、夜になれば虫や蛙など。そしてもちろん人が何かをしている音も。いろんな音が聞こえてくるけれど、人がおらず機械だけが立てるような音は、ほとんどしないんです。まぁエアコンの要らない時期ということもあるのでしょうね。でも、生き物の生の音や声がいつでも聞こえてるのに、機械的なものが含まれないという状態は、なかなか出会う機会が少ない気がします。そして音が聞こえるということは、空気や風を感じることも。

仲間川カヌーツアーでは、途中で上った展望台から見た海まで続く(背が少し低い)マングローブに覆われた森(上パノラマ写真)と、中洲に下り立って目の当たりにした様々なマングローブを構成する植物や、群れなすカニ、巨大しじみ!。「地元のおっちゃんと行くナイトツアー(笑)」では八重山蛍にハブ!、砂浜を降りていく巨大なヤドカリや透き通るような真っ白いカニ
歳をとってくると些細なことでも経験量だけは増えて、それを元にあれこれ考えたり選んだりしてます。でも、そういうものがあんまり意味が無いというか、まぁどうでもいいか〜みたいな気分に包まれる心地良さ。子供の頃に初めて足を入れた田んぼとか林の中で、いろんなものに夢中になっていた頃に近いのかもなぁ。。。ってなことを妄想してたら、最近よく通ってる"落語"はそういう場なのかもしれない…なんてことが唐突に浮かんじゃいました。島のそこらじゅう全部がアン・プラグドなライブやってる…なんてのは言い過ぎですかねぇ(笑)。でも、そんな気分。

普段みえないもの

島に行く前は天気が気になる。行ってからだって気になっちゃう。でも、天気予報は大きな傾向には役立ちそうなんですが、その日とか明日の天気予報は見ても見なくてもあんまり変わりがないものでした。少なくとも島にいた二泊三日は、そんな日が続きました。島の中で土砂降りもあれば曇りも薄日のところもある。天気予報は曇り時々雨。まぁ、どっちでもいいさぁ〜という気分(笑)。西表島にはそれなりの標高の山があるので場所によって天候に影響を与えるらしいのですが、関東平野を取り囲む山壁のごとく大気の流れに影響を与えるものではなく、受け止める役割に思えます。天気予報というのは、地形が空気の流れにどう影響を与えるかを解析する部分が大きいのかもしれません。そんなことを考えちゃいました。
で、天気よりも変化の大きさがすごいのは、潮の満ち引き。なんたって地形が変わるんですから。さらに、木が動いてる…というと大げさですが、オヒルギなどのマングローブの木々はその形状だけでなく、生息域でも汽水と押したり引いたりしているようにみえちゃいます。普段変わらないもののだと思っているものたちが、この地では変化している。そんなことを、改めて感じます。

別の、世界

自分にとって沖縄は、いろんなことが新鮮な世界です。ところが、西表を体感してしまうと"沖縄本島は内地と離れてはいるけれど、同じ線上にあるのかもしれない"と思えてきます。西表島は、その"線"そのものが違うようだと。どちらがいいとか素晴らしいとか、そういうことではなく、違うものだと。
今回泊まったラ・ティーダというホテルの食事は沖縄のものをあれこれ用意していくれていて、こういう施設としてはなかなかよかった。ところが「はてるま」では、自分の気持ちの興奮度合いがまったく違う。想像できないものに相対しているような。みんな「さっき採ってきた」もので、しかも知らないものばかり。
ドライブもちょくちょく車を止めて散歩したりしていました。けど、同じ場所でもカヌーで風や水の流れを感じながら過ごすと(本島でカヌーに乗った時とも)まったく別の時間を過ごした気がします。時計が刻んでいる時間の流れと、気持ちが感じている時間の流れは別ですけれど、ここでは前者であっても自然のリズムで流れているように感じます。両者を区別することはなんだか不自然な気もしてきます。そんなことに影響を受けて、普段おとなしくしている"身体に直結してる感覚"がぞろぞろ目を覚ましたのだと思います。東京に戻ってからも、そんなモードが切り変わった状態から復帰するのに数日かかってしまいました。正直にいえば、「戻らない方がいいんじゃない?」なんて声も聞こえて。。。





。。。"帰国"した翌日は、野毛・にぎわい座で「志らく百席」でした。仕事と違って(笑)、落語はまったく違和感がありませんでした。座って聞いてる会場は似ても似つかないんですが、自分の中で目覚めている部分は似通っている気分なのがちょっと楽しいぐらい(笑)。同時に「西表島では落語は人気がないかもしれないなぁ…」と、ひとりで笑ってしまいました。果たして、どうなんでしょうかねぇ。今週来週と、そんな落語が目白押しでーす♪