900人を前に、芝居落語@立川志らく独演会(3月18日、銀座ブロッサム)


食べ物話が中心だったこのブログ、最近は落語の方が増えつつあります。理由は…外食よりも落語にいくほうが回数が増えちゃってるからです(爆)。食べ物ネタ期待のお方がもしいたら、ごめんなさい(いないと思いますけど…)。
さて火曜日は、毎年一回志らくさんが独演会をしているという、銀座ブロッサムでの会へいってきました。これだけ大きな会場で志らくさんを聞くのは初めてです。マクラで曰く、

こういう大きな会場でやる時は、初めて来ているお客さんもいるのだから、素直に大ネタをやって楽しんでもらうというのが普通だと思うんですが、敢えてそうしません。今日は、初めての新作の、ネタおろしです

そんな枕を二階席、あと三列後ろが最後列という座席から聞いてました。この一日前は、下北沢で談春さんでした。その時はかぶり付きで前に三列しかなくて、わずか3m強先にとても大きくみえる談春さんがいました。でもこの日の志らくさんは、下のほうに小さく(笑)。そうはいっても、この日は独演会は(三席ではなく)珍しく二席。新作の「吉良の忠臣蔵」と「中村仲蔵」、ワクワク。


配られた解説によれば、この日のテーマは"芝居"。そういえば、2月に芝居を終えた直後の下丸子らくご倶楽部で志らくさんは「芝居は終わったら涙ぐんでしまいましたが、落語ではそういうことはない。役になりきるかどうか、プロかどうかの違いであると思う」なんて落語と芝居の違いを言われてましたっけ。そんなことを身をもって体験している故に試みることができるテーマなのでしょうね。


いきなり結婚間近?の若い男女の会話から、吉良版の忠臣蔵が始まりました。いや〜こういうふうに現代と江戸を結びつけて往き来しながらやるとは!面白いこと考えましたねぇ。一瞬ロミオとジュリエット風。
「上司が言ったから」「ルールだから」と会社のワンシーンかと思うようなガチガチ思考停止状態で吉良に迫る、内匠頭。いや〜可笑しいけど笑えない。いや、笑っちゃいますけど。規則は規則として、世の中の常識も纏っている上野介。こっちの方がよっぽど典型的な日本人ぽく見えます。「内匠頭殿に少しは自分で調べたり考えたりして欲しいのだ」うんうん。世代間ギャップも盛り込んでる。印象は随分変わるもんですねぇ。その時、歴史は動いた(笑)。


ところで新作落語というと、知っているのは志の輔さんだけのワタシ。否が応でもチラチラと何がどう違ってどっちも面白いんだろ?なんてことを考えちゃいました。志の輔さんは、(今年のハナコは少し違うと思うんですが)日本人の根っこの気質をうまく捉え、それを受け入れた上でのストーリーだと思います。安心して笑えるのは「みんなそうだけど、自分だけは違う」的な、よくありがちな視点だからなのでしょう。
ところが、この志らくさんは違ってました。みんなが右といった(思い込んでいたら)ら、左からみたり、裏からみたりする。だから引っ掛かっちゃう人もいるかもしれません。でも、話の流れや展開からそういうことが気にならないように組み立てられてるところ、なかなかです。元々の噺に志らくさん自身が引っ掛かっている部分があって、それを解消できるようになってるわけですから。こういう切り取り方は、きっと役者が出てきて演じるドラマだと、不自然になる危険もあるのでしょうが、落語という一人話芸の特質をうかく使っているのでしょうねぇ。休憩の時間中、興奮が続いておりました。なんという新作、その場にいたのだという嬉しさ(涙)。


さて、とりは忠臣蔵繋がりで「中村仲蔵」です。ウ〜ン、憎らしいなぁ。志らくさんが途中から仲蔵に重なってみえるのは、もうすぐ読み終える「雨ン中のらくだ」にいろいろ出てくる落語と家元に対する強い思いと時間の費やし方、「吉良版…」のような新しいものへの苦闘が影響しているのかもしれません。
忠臣蔵で人気の無い役を割り当てられた仲蔵が、工夫を凝らして観客の度肝を抜き名声を確固としたものにしてゆくのですが、このシーンの表現は映画の一場面のよう。造詣の深いところがこういうところに役立つんですね。主人公を囲む人たちも、重要な存在で、仲蔵が一人ですごい人になっていないところも共感します。芝浜風の仲蔵夫婦の会話が挟まったりして、笑いどころもちゃんとあり。いやぁ乗ってる感じが続いてます、ここのところの志らくさん。今は、この人の"芝居"を一回たりとも逃したくない気分です(笑)。