連夜の独演会へ〜立川志らく・立川談笑


今晩は天気が崩れると聞いたような気がしてましたが、雷雨になるとは思ってませんでした。油断して傘も持っていなかったですが、ラッキーにも雨の最中は屋内に。降られることなく、家にたどり着きました。
さて、八重山に行ってきた連休の前に、ここのところ何度も聞きに通っている二人の独演会にいってました。これが、なかなか!


二人会って、なかなかバランスが難しいのでしょうね。ある意味完成している大御所同士というならまだしも、日夜競い合うようにして磨きをかけている互いであればあるほど。それは落語に限らないようにも思います。
落語で言えば、今年何度か行った二人会で、印象に残っているのは5月の連休の「志らく・談笑二人会」。しかし、その二人でさえ、"いつも同じというわけにはいかない"ということなのでしょう。9月の二人会では、バランスが崩れてしまったように感じましたし。もしかしたら、家元が復活した5月と、年内休業になってしまった後という違いも関係しているかもしれませんねぇ。

立川志らく月例独演会・志らくのピン@内幸町ホール(2009年10月7日)

今年はいろいろなジャンルへの展開の機会が、あれこれ訪れてているようです。自ら演劇らくごという形をつくり上げただけではなく、ロックコンサートでトリを取ったり、大学で講義をしたり。そうそう、カルチャーセンターでの講座というのも、ありますね。


さてこの日、ケーキ屋、喫茶店の客に続き、"志らく界"の住民が、また増えました。今回は、怪しい歯医者と看護師(?)のおばぁ。患者への接し方が、ブラフと猫かわいがりの両極端に変貌する、患者の少ない開業医と、座敷童のような助手。練馬区を中心にした一帯には、パラレルワールドが広がっていて、志らくさんは両方の世界を往き来するマルコ・ポーロ、いや、イタコみたいなものかもしれません…。


この日のラインナップは、「松竹梅」「湯屋番」、仲入り後に「お藤松五郎」。噺し手と聞き手のジャブ応酬、みたいな一席で始まって、出張版若旦那ネタ(これはいろんなパタンがありそうですねぇ)でグンっと盛り上がって、〆は志らくさん曰く「どうやっても救いようが無い」噺を互いにどう味わうか。確かに、スッキリ爽やかな終わり方じゃあないですけど、今の今まで伝えられてきているからには、何かあるんでしょう。似たような事件は、時代を超えても起きてしまう…とかかな。まぁ、そういうふうに終わる夜もありますわいな。なんてね。
それにしても、与太郎的だったり、若旦那や虫とか、分別よりもどこかピュアが立ったキャラに取り憑いた志らくさん、一層いい感じに思うんですけど。


立川談笑月例独演会@東京芸術劇場・中ホール(2009年10月8日)

国立演芸場から場所を移しての、独演会です。いつもより、大きな会場、違う場所、幅広いだろう観客の層。気のせいか、際どい内容やブラックなジョークを控え目にしてのマクラ。穏やかにみえて、突き抜けた印象もあって、こういう”攻め”が実は談笑さんにはいいんじゃないでしょうかねぇ。個人的な好みですけど。ここ何ヶ月か、最初に登場する時に「ぴょこん」と跳んで出てくる感じが無くなったように感じてます。この日も落ち着いて客席に向かって網を投げ込んで、客が気がついたら見事に持っていかれていた…と。


演目は、「時そば」「紙入れ」、仲入り後にジーンズ屋ゆうこりん改め「紺屋高尾」。徐々にギアが高まっていく布陣。ブラックな持ち味が、枕よりも噺の中にうまく溶け込んで気持ちいい。うまく蕎麦代をかすめてやろうとした男よりも、亡き母の亡霊とともに不味い夜鳴き蕎麦屋をやっている男に光を当てたり、スリリングな探り合いから上げてストンと落とす親方との掛け合い。そして、"ゆうこりん"を経ることで、もう一段完成度が高くなったように思えた〆の一席。現代版に持ってきた設定をもう一度古典に戻しつつも、元に戻すのではなく、談笑流にパラレルな古典世界を作ってしまいました!最後に高尾がウソに気がついて…というくだりを、人間・高尾大夫を描くことで、今まで以上に自然に流れていったように思えます。談笑さんの力量なのは間違いないんですが、もしその背後に"家元にシャブ浜を封じられたこと"が関係してるのだとしたら、それはそれでスゴイことですねぇ。