ちょっと切ない、野毛の夜席@志らく百席・第33回(野毛、横浜市)


 夜は前線が通過して雨になるという日曜日、にぎわい座は立川志らくさんが持ちネタから選んだ百の噺を順にかけていくという、志らく百席。残りは、あと四席。これは、聴き逃したくありません。おまけに、にぎわい座です。ここに初めて来た頃は、野毛というのがよく分からなかったのですが、幸いにも横浜通の方にあれこれ教えてもらったら、まぁなんと素晴らしいところなんだ(笑)。この日はにぎわい座が初めての家人とともに、入館の前に「バジル」でサラダとカルパッチョ、お供にワイン。落語で「小腹が空いたから、ちょっと蕎麦でも…」なんていうのはこういう感じなんだろうな。で、次はにぎわい座の売店で、あいすくりんを買った家人と席へ(にぎわい座の席には、小さなテーブルがついてて、邪魔にならないような飲食はOKなのです)。


さて、らく次さんの「雛鍔」に続いて、志らくさんが登場。いきなり、風邪をひいて昨日は一日寝込んでいたと、衝撃の告白。といいつつ、40度の熱でやった人情噺はどうやったかまったく記憶がなかったけれど、テープを聞いたら自分でもほれぼれ…みたいな経験も披露して盛り上げつつ、旅にちなんだ話へ。家元の世話をしていた時代の話から、最近山形と箱根で"立川志らく"で泊まったけれど認知度ゼロだった…とか、圓楽師匠の思い出やエピソードで、自分も周りも、志らくさんの体調がとっても悪いなんてことを忘れるぐらいの盛り上がり。いつもは三席のところ、今日は一席少ないので長めのマクラだったんですが、これはこれでよかったですね。もっと濃い聴衆の会では、一席でも多く聞きたい!という声が多いかもしれませんけど、にぎわい座のようにちょっとゆるい雰囲気のところでは、こういう構成もいいんじゃないかなぁ。


一席目は「二人旅」。確か家元が"好きな話の一つ"といっていたような。旅という状況設定よりも、とぼけた二人のちょっとばかばかしい、テンポのいい掛け合いが楽しい噺(でも、一度も聞いたことなくて、この噺を本で読んだら辛いだろうなぁ)。こういう噺は、志らくさんの突き抜けるところが見事にマッチして、いつもスゴイと思っちゃいます。さすがに完調の時とは違いましたけど(今年6月の独演会では、「二人旅」とそれに続けて「萬金丹」を)、こういう時はこういう時の盛り上げ方。大爆笑連続のマクラで一気に高まったものを、最後の「双蝶々」に向けて、やや落ち着いた流れにしつつしっかり客席をからめとり。


金曜日に志の輔さんがやった「政談・月の鏡」が圓朝作なら、「双蝶々」もそうなんですね。で、いきなり落語には珍しい子供が登場。こういうところも、圓朝作という噺は、なんとなく小説的な印象を持ってしまうんですが、やはり今に連なる日本語の流れができた、明治という時代だから当然なのかもしれませんね。この、長吉のいわば半生記。あれこれと悪事を重ねて最後には…という。何か下になるような事件でもあったんでしょうかねぇ。何だか、オリジナルはもっとどろどろしているような気もしちゃいました。


いったん降りかけた幕が、再び上がって、志らくさん。最後の最後に、立川文都さんの話を。残念ながら、文都さんの噺は聴いたことありませんが、志らくさんとは入門が一年違い、二つ目昇進は同じ年と、関わりがいろいろあった方なんですね。志らくさんは、声を詰まらせながら「ホントに間の悪い…」なんてことをいいながら、あれこれを思い出話をしてくれました。そんなことを聞きながら、例えどんなに体調が悪かろうが、今日の会で「この人のことを伝えなくちゃ!」という気持ちで、志らくさんはこの日高座に上がったんじゃないかと、そんなふうに感じてました。文都さん、どうぞ安らかに…。



 

 やめられない、とまらない、志の輔らくご@赤坂ACTシアター(2009年10月30日、東京)

赤坂アクトシアターで、初めての「志の輔らくご」。新しいだけあってなかなかいい雰囲気のホールですね(新しくても今一つというホールもありますけど)。客席は前後で半席ずつずらしているので、目のお客で影になりにくいし、後席にいくに従って段差がきっちりあるので舞台が見やすい。もっとも志の輔さんは、「舞台が一番の底にあるみたい。初めて経験する"高座"だ」って言ってましたけど。


感覚的なものですけれど、志の輔さんの会に来ているお客の中には、"落語を聴くことそのものが初めて"だったり、"志の輔さん以外の会に行ったことがない"という人が、そこそこ多い割合で含まれているのではないでしょうか(1年前まで僕も後者でしたし、未だに寄席に行ったことがないし…)。これ、いわゆるイメージとして、な〜んとなく誰もが持っている"笑点的落語の世界"とは、かなり異質なものだと思いますよ(なので、らくごと表しているのだと思います)。そんなお客構成を想定して、それでも楽しませちゃうぞ〜!というのが、ライブ・志の輔らくご。これを二日で3回、計4千人ぐらいに(お疲れさまですっ)。水戸黄門ばりに、全国各地に落語会で行った時の話題をマクラに。これで今日の観客のツボを探っているのでしょうね。そう思いながらも、こっちも大笑い。なんていうのか、「ボケと突っ込み」じゃなくて、「くすぐっちゃうぞ〜」「え〜じゃぁ、くすぐって〜」みたいな。。。文字にすると変態だな、こりゃ。えぇと、別の言い方をすれば、観客が「なんでも受け入れちゃうよ〜」状態になる。変に力むことなく。


師匠・談志が落語協会を飛び出したことで、寄席で経験を積むことが出来なくなってしまった志の輔さんですが、志の輔さんご本人は寄席にでることが出来なくなったことを哀れむ先輩達を尻目に、新しい世界を切り開くことこそ!と邁進した、と著書に書かれてますし、江戸や東京とは違う世界で育った故にそれを特徴にするためにはどうしたらいいかを考え抜いた、とも。いつまでもチャレンジャーで、開拓者。この日も「初めての会場でやるのは楽しい」と。そこが志の輔さんの魅力の一部なのでしょうが、最早すごいなぁという言葉しか浮かびません。これだけの人が、走るの止めないって。


前座無しで登場した志の輔さん、この日は「はんどたおる」、「ねずみ」、仲入り後に「政談・月の鏡」(この構成を、糸井さんはほぼ日の「今日のダーリン」で"新作・古典・実験作"と見事に表現してました)。久し振りの「はんどたおる」、このいきなり!の始まり方が個人的には好きですねぇ。なんてったってスーパーの特売のシュークリームとハンドタオル。誰でもが目に浮かぶはずの、でもたいそうなものじゃない組み合わせ。噛みあわない夫婦のバトルっていう"内"だけでも凄い(端から見てるから楽しい…)のに、新聞屋のお兄ちゃんという"外"が絡んできて、チクリ。何といいますか、現代版長屋のワンシーンみたいな、新作なのに古典の王道かもしれない…と思う噺ではないでしょうか。
さて、志の輔さんの会は何かサプライズ的なお楽しみが間に挟まることが多いのですが、この日はここで三味線・太鼓・笛。曲の合間に小さく調音していたり、笛を持ち替えたりなんていうのも楽しめるのは、ライブならではです。
着物を替えて、再び登場した志の輔さんは舞台を仙台に移して「ねずみ」。名工の作品を扱った落語は他にもいくつかあったように思いますが、この噺はやはり卯の吉(子供)のこまっしゃくれた言動と、題材としては十分資格があるのに人情噺にいかないところが、個人的にはお気に入りです。


袴姿で登場した志の輔さん、〆の一席は背後のスクリーン板(?)と共演して「政談・月の鏡」。圓朝がサスペンスに挑んで…と紹介して始まり。複雑な筋をところどころ背後のスクリーンで投影(シーズン7が始まった24の手法)していくという構成。駅伝の中継みたい。実はこれ、一昨年の夏に体験したことがあって、その時は呆気にとられちゃったやつ。今日は二度目ということもあってじっくり。登場人物もシーンごとに違って、最後にはつながるんだけど、独立してみえるから出演者数もかなりのもの。屋敷だったり、小間物屋だったり、長屋だったり、吉原だったり。なので、聴く方はいつも以上に集中しながら、いつもと違う再構成せにゃついていけない。この辺りが、"もしかしたら失敗作!?"なんていわれる所以なのかしれませんし、あるいは牡丹灯籠みたいに何日もかけてやったものなのかと思っちゃいました。


改めて思うのは、ここに集まった人たちの多くは「志の輔さん」を楽しみに来たんだよなぁと、はい。もちろん、こっちも思いきり楽しませていただきますヨ〜(笑)。



…奇しくもこの日、訃報が伝えられた三遊亭圓楽師匠と、立川文都師匠のご冥福をお祈りいたします。
 

 

 sekai cameraセカイカメラというプロトタイプが目指すAugmented life

まだビジネスとして離陸した訳ではないけれど、最近「クラウド」を追うように「AR」という言葉を聞く回数が増えてます。実際ここ数ヶ月で、どんどんいろんなツールが出てきて、使ったり体感したりできるようになってます。でも、それらのすべてを同じものとして括ってしまうことには、自分の中に抵抗があるので、ちょっとそのことをメモ。何のことかと言えば、頓智・(とんちどっと)が9月24日にリリースしたiPhone版sekaicameraが、久々の壮大なプロトタイプ(?)だと感じるということ。 ※sekaicameraについては、例えばこちら


先日、慶応大学の渡邊恵太さんが「ブレストに関心を持つ人は多いが、そこに留まってはいけない。プロトタイプとして提示するこそ重要」と書かれてました。あれこれ議論を続けるより、もっとシンプルに、身近なものを使ってアイデアを形にして試して、また別の形にする…ということをもっとしよう!と。その通りだ!と頷く一方で 最近目にするメーカーのプロトタイプに力がないようにも感じます(もっとも、両者でプロトタイプの意味するところが、必ずしも同じではないと思うけれど、どちらもプロトタイプと呼ばれてます)。プロトタイプを何度も特集して取り上げてきたAXIS誌でも、少し前にそんな記事が出ていなかったかな(検索で見つけられませんでした。図書館でもう一度みてみます)。
すべての事例が当てはまる訳ではないだろうと思うけれど、後者のような企業のデザイン部門などが作ってきたプロトタイプは、その役割が変わってきているのかもしれません。その背
景には、いろんなことが大きなレベルで変わりつつあることがあるように思います。例えば、西村佳哲さんは新著「自分をいかして生きる」(下)の中で、"海面に頂上を出した海山"の絵を示し、島を"仕事(の成果)"に例えると、海面下には"技術・知識"があり、それは"考え方・価値観"に支えられ、さらに"存在や在り方"というもので海底につながり、その下には、マグマが隠れているというものとして表現されました。そして、戦後日本は既にあった"知識や技術"をどんどん吸収し、"成果"を上げてきたのではないか、と。ところが、今その"技術や知識"は、その下にある"考え方や価値観"が変わるような時期にあって、それは"存在やあり方"レベルから行われている。その中で、従来の技術や知識の範囲の中で改良を続けられる商品は、完成度は増す可能性はあるけれど、大きな変化は起きにくい。そのような状況下では、プロトタイプは作りようがなくなっていく…ということはないか。同じ価値観が長く続けば、「高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている(クラークの第一法則)」さえも否定されてしまうかも(笑)。
自分をいかして生きる


話を戻すと、僕はsekaicameraの提案が、"技術や知識"のレベルに留まることなく、"存在やあり方"にまで達しているかも…と感じています。もちろん、実現のレベルは、まだその第一段階だとしても。例えば従来のメーカー製プロトタイプは、その企業へユーザーを惹きつけ囲い込みたいという欲求が結構露骨にみえていたと思います。そのための、新規な形状や新しい機能だったと。でもsekaicameraは、OSやツールに依存しない(制約としない)し、特定のハードウェアにも依存しない(ある程度の性能のツールは当然必要ですが)。逆に最初から、twitterと連携さえできるのです。加えて井口さんが続けているtwitterでの発信に"インターネットと毎日の生活やコミュニケーションを融合させて、もっと楽しくしよう"という思いや信念が込められていると思います(トップの役割としてこういうことは大事なんだなとも思う)。時事通信湯川さんはこの井口さんのつぶやきだけで、疑似インタビュー的記事を書いてしまいましたしね。この辺りは、「技術力で勝る日本がなぜ事業で負けるのか」という妹尾氏の著作(下)や、「日本の色のついた技術ではもう世界で勝てない」などの一連のSophie525さんのエントリーにも通じるものがあるんじゃないかと。
技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由

西村さんの絵に直接描かれてはいないですが、"技術や知識"から"仕事の成果"を生み出すのは、"行動"でしょう。具体的には、渡邊さんいうところの"(多くの人は)アイデアを出すことにも、聞くことにも慣れていないのでそれを育めない。また、否定すると偉そうに見られる"という環境の中で、それに陥らずに、育むことをサポートすることと。そしてsekaicameraをどんどん試して、使い方や発展系を考え、提案することだと思います。海には島だけじゃなくて、大陸もあって、その間を人や鳥が渡ります。ネットは、それらの間に個人が自由に使える橋が架かっている状態とも言えるでしょう。島の光景は変わらなくても、海面下の意識が変わることは十分にあると思います。


 

 暖簾のかかったビストロ@藤八(大衆割烹・居酒屋、中目黒・東京)


夕食を外で食べようということになり、しばし思案。で、以前満席で入れず、その後何となく機会が無かったここへ。"食べ物もなかなかいい"という話を聞いたことがあるので、ちょっとそれに期待して。しかも、32年間中目黒でやっているというのだから、この街ではきっと老舗。


雰囲気は、イメージ通り。壁に貼ってある雑誌の記事の切り抜きには"居酒屋"だったり"大衆割烹"だったりしますけど、。手前にテーブル席とカウンター、奥に座敷。白いワイシャツのグループもいれば、20代の男性三人連れもいるし、早めに帰ってゆく(早くから来てるんですね、きっと)名前で見送られる常連さん。女性二人組。近ごろ珍しいんじゃないかな、このいい具合の混ざり方。


店内も年季はあるけれど、なかなかにこざっぱりとした雰囲気だし、店員さんも、例えば空いた皿を下げるのにもきちんとお客に一声掛けてから返事があってから手に取る。多分、おかみさんの存在が大きいのでしょうね。その女将さん、きょろきょろと壁に貼ってあるメニューを眺めていたら、すかさず登場。この店の人気メニューや、今日のおすすめを紹介してくれます。「昆布で出汁を取った○○」とか「この四皿なら、お二人で問題ない量ですよ」なんて具合に説明やアドバイスをしてくれる。


 突出しから、期待は高まってました。やっつけのまぁこんなところでいいんじゃない…とは一線を画した煮物。黒ホッピーとそれを楽しみながら、"藤八の名物"として教えてもらった四品を待ちます。最初に登場したのは、むちっとして白身ぎっしりのつくね"自家製はんぺん"。僕は黒はんぺんが大好きで、白はんぺんはふわふわ過ぎて苦手なんですが、この食感は初めて!写真だとお餅みたいに写ってるやつです。次に現れたのは、満足感が高い"烏賊のかき揚げ"。文字にしちゃうと「玉葱などと一緒に刻んだ烏賊がかき揚げになったもの」というだけなんですが、これが妙にうまくてどんどん減ってゆく。そして、見事に日本に帰化してる"自家製腸詰め"(これ、ワインでもいけそうだ)。これに"肉ジャガコロッケ"加え四品。あ、鰹の刺し身もよかったなぁ。
 それ以外にもぜひ!また食べたいメニューがあって、もう和風ポトフ!としか言い様がない"野菜の塩煮"。これは、ほんのり甘みのある澄んだスープに、蓮根、人参、オクラなどがそれぞれ異なる噛み心地をちゃんと残し、豚肉とともに盛られた彩りも含めて何とも言えない一品。お替りしようかと悩んだぐらい。。。そして〆には、"のりうどん"。なんとも楽しい一時間半でした。




「あたしはクセがあるのよ」なんていっていた女将のアドバイスは、会話が出てくる食べ物中心になってしまうぐらい満足度が高かったなぁ。バールとか、ビストロみたいな、ちゃんと「料理に満足でき」て酒楽しめる一軒。僕の中では、野毛の栄屋酒場みたいなポジションかな。食べるのが好きな人と、特においしい魚が食べたい時には貴重なお店。
いや〜、ほんとにこの街の印象が一段あがりましたヨ。この店に、連れてきたい顔がいくつも浮かぶ帰り路でした。

藤八
東京都目黒区上目黒1-3-16(電話:03-3710-8729)
営業時間:17:00〜23:00、日曜祝日休み


 

 あと一回。区切りの新宿、月例独演会@志の輔らくご(2009年10月21日)


1月のPARCO、4月の銀座。TVでいったら特番みたいな会じゃないかと思うんですが、今年チケットが取れたのはそれぐらい。昨日は、今年初めて行けたいつもの新宿の独演会。今年で終わるらしい…という話しを聞いていたので是非とも行きたかったんです。人気があるから仕方がないのですけど、生まれて初めて聴いたのが確かこの新宿の会。そんな訳で、ちょっと力が入ってました。


この会、毎回ロビーゲストが登場します。会場の時刻から、開演直前まで、それぞれのパフォーマンスをロビーで披露してくれる。開演に向かって、こっちも段々いい感じになってゆくんですね。で、昨日は、栗コーダーカルテットが演奏してました。あ〜もっと早くから来れればなぁ。。。なんて思いながら、それでも三曲楽しんで、席へ。


今更ながらに気がつきましたけど、舞台の照明や、季節の切り絵の投影、志の輔さんの着物など、どれもがきれいな色。こういうところも、観る方の気持ちを高く保てるような工夫のひとつなんじゃないかって。そんな一方で、志の輔さんの草履、ぴかりと光ってなかなかおしゃれ〜。客席からは一瞬しかみえないところで、楽しんでるんですね。

前座は「金明竹」。初めて聴く方。落ち着いた感じで好感が持てます。話し方、身振りなどで演じ分けってやっぱり難しいんですねぇ。
さて志の輔さん。マクラはたっぷり、黄門様ばりの諸国漫遊談。宮崎でなぜか「六人の会」が"主催"した(せざるを得なかった)落語会のこと。そして、諏訪の松茸山での一年おきの落語会。携帯もつながらない山の村。ガードレールも途切れがちな途中の山道は、分かれ道でどちらに行くかが時に命運も握る、というお話。ひょっとしたら、高尾への長い伏線だったりしたのかしらんなどとも思ったり。
一席目は、「猫の皿」。もしかしたら、本島の主役は猫の"其之八"かも。相手が猫だから、オーバーなぐらいのやりとりが成立し、掘り出し物の道具を求めて旅する男のアップダウンがストーリーになるんでしょう。これが犬や狸じゃ、ねぇ。猫に投影する悲喜劇への込め方に、演者の、人間にどんな目線を注いでいるかというかが現れる気がします。

さて、ここでこの会の名物、仲入りマイム・松元ヒロさん。初めてみた時と風貌変わらなず、何だか時間がヒロさんのところだけ留まっているよう。キレのいい、ウィットの利いた、大人のクレヨンしんちゃん


〆は「紺屋高尾」。柔らかく着物の裾を折って座布団に座ると、紺屋職人の親方に。おっと〜。連休前の会で、立川談笑さんがかけてくれた噺ですよ。9月の二人会では、立川志らくさんもかけてくれましたし、ラッキー! 志の輔版は、どんなところに注力されたのかがとっても気になります。。。与太郎でも若旦那でもない、ちょっと今風にも思える久蔵。茶目っ気たっぷりの、親方。あぁ、志の輔さんの紺屋高尾は、男の可笑しさ面白さがでてますね〜。高尾大夫に焦点を当てて、意表をついた談笑さんと対照的。


いったん幕が下りて、いつものように再び登場の志の輔さん。来月がここでの千秋楽であることも話されていましたね。う〜ん、10年ですか。何も知らずに初めて落語に連れてきてもらったのは、その頃だったのか。誘ってくれた方に、改めて感謝!です。それにしても、新しいことを始め、実績や成果を得て、自ら区切りをつける。自分にできているとはまだまだ思えないけれど、背筋がピンとしてみえるもんですね。
それから、加藤和彦さんの思い出。自分のラジオ番組にゲストで来てくれた時のテープを聞き返したこと、今でもサディスティック・ミカバンドの「黒船」を愛聴してることなどを。そう語る姿は、涙ぐんでるみたいな雰囲気を身体から発してました。


いろいろなこわばりをほぐしてもらって、気持ちよく温泉で温まってきた…てっぺんまで盛り上がるのではないけれど、席を立つお客さん達から、ほのかに湯気がみえるようなこの感じが、志の輔らくごの力なのだと改めて思いながら、二次会へと。


 

 連夜の独演会へ〜立川志らく・立川談笑


今晩は天気が崩れると聞いたような気がしてましたが、雷雨になるとは思ってませんでした。油断して傘も持っていなかったですが、ラッキーにも雨の最中は屋内に。降られることなく、家にたどり着きました。
さて、八重山に行ってきた連休の前に、ここのところ何度も聞きに通っている二人の独演会にいってました。これが、なかなか!


二人会って、なかなかバランスが難しいのでしょうね。ある意味完成している大御所同士というならまだしも、日夜競い合うようにして磨きをかけている互いであればあるほど。それは落語に限らないようにも思います。
落語で言えば、今年何度か行った二人会で、印象に残っているのは5月の連休の「志らく・談笑二人会」。しかし、その二人でさえ、"いつも同じというわけにはいかない"ということなのでしょう。9月の二人会では、バランスが崩れてしまったように感じましたし。もしかしたら、家元が復活した5月と、年内休業になってしまった後という違いも関係しているかもしれませんねぇ。

立川志らく月例独演会・志らくのピン@内幸町ホール(2009年10月7日)

今年はいろいろなジャンルへの展開の機会が、あれこれ訪れてているようです。自ら演劇らくごという形をつくり上げただけではなく、ロックコンサートでトリを取ったり、大学で講義をしたり。そうそう、カルチャーセンターでの講座というのも、ありますね。


さてこの日、ケーキ屋、喫茶店の客に続き、"志らく界"の住民が、また増えました。今回は、怪しい歯医者と看護師(?)のおばぁ。患者への接し方が、ブラフと猫かわいがりの両極端に変貌する、患者の少ない開業医と、座敷童のような助手。練馬区を中心にした一帯には、パラレルワールドが広がっていて、志らくさんは両方の世界を往き来するマルコ・ポーロ、いや、イタコみたいなものかもしれません…。


この日のラインナップは、「松竹梅」「湯屋番」、仲入り後に「お藤松五郎」。噺し手と聞き手のジャブ応酬、みたいな一席で始まって、出張版若旦那ネタ(これはいろんなパタンがありそうですねぇ)でグンっと盛り上がって、〆は志らくさん曰く「どうやっても救いようが無い」噺を互いにどう味わうか。確かに、スッキリ爽やかな終わり方じゃあないですけど、今の今まで伝えられてきているからには、何かあるんでしょう。似たような事件は、時代を超えても起きてしまう…とかかな。まぁ、そういうふうに終わる夜もありますわいな。なんてね。
それにしても、与太郎的だったり、若旦那や虫とか、分別よりもどこかピュアが立ったキャラに取り憑いた志らくさん、一層いい感じに思うんですけど。


立川談笑月例独演会@東京芸術劇場・中ホール(2009年10月8日)

国立演芸場から場所を移しての、独演会です。いつもより、大きな会場、違う場所、幅広いだろう観客の層。気のせいか、際どい内容やブラックなジョークを控え目にしてのマクラ。穏やかにみえて、突き抜けた印象もあって、こういう”攻め”が実は談笑さんにはいいんじゃないでしょうかねぇ。個人的な好みですけど。ここ何ヶ月か、最初に登場する時に「ぴょこん」と跳んで出てくる感じが無くなったように感じてます。この日も落ち着いて客席に向かって網を投げ込んで、客が気がついたら見事に持っていかれていた…と。


演目は、「時そば」「紙入れ」、仲入り後にジーンズ屋ゆうこりん改め「紺屋高尾」。徐々にギアが高まっていく布陣。ブラックな持ち味が、枕よりも噺の中にうまく溶け込んで気持ちいい。うまく蕎麦代をかすめてやろうとした男よりも、亡き母の亡霊とともに不味い夜鳴き蕎麦屋をやっている男に光を当てたり、スリリングな探り合いから上げてストンと落とす親方との掛け合い。そして、"ゆうこりん"を経ることで、もう一段完成度が高くなったように思えた〆の一席。現代版に持ってきた設定をもう一度古典に戻しつつも、元に戻すのではなく、談笑流にパラレルな古典世界を作ってしまいました!最後に高尾がウソに気がついて…というくだりを、人間・高尾大夫を描くことで、今まで以上に自然に流れていったように思えます。談笑さんの力量なのは間違いないんですが、もしその背後に"家元にシャブ浜を封じられたこと"が関係してるのだとしたら、それはそれでスゴイことですねぇ。


 

 小雨降る中、ちょっといい気分@洋食屋りたーん亭(沖縄・石垣市)


10月の連休、天気に恵まれたところが多かったようですねぇ。。。ぼくの出掛けた先以外は。はい、八重山へ行ってました。石垣島小浜島。自分旅行史上、ここまで雨に降られた記憶はございません。おまけに、羽田を発って富士山がくっきりスッキリ見えたことが今年は無い!といっても搭乗はわずか4回なんですが。まぁ、天気にブツブツいうのはこれぐらいに。何たって今年は上海で涙をのんでますから、気が立っているのです(笑)。生まれて初めて、アオリイカを釣ることができたので、実はいくぶん収まっております。


石垣市の730交差点から徒歩5分圏内で、ランチというとお気に入りは「ゆうくぬみ」。今回も、ちゃんといってきました。ここの沖縄そばは、食後感までスッキリしてて、今のところ石垣島で出会ったすばの中で、一番好み(何度も言ってる気がしますが)。それから、ぜんざいがまた素敵。手で回す、昔ながらのかき氷機から、しゃくしゃくと聞こえてくる音だけでもおいしい。口に入れるとさらりと溶けて。

洋食屋りたーん亭

初日は、予定も入れずのんびり。ふらりふらりと彷徨っていたら、宮良殿内の先で、偶然目に付いたのがこのお店。沖縄に来て、洋食屋さんに入ったこと、まだないのですよ。東京みたいなデパート都市に住んでるから、普段の選択肢に入るのですけど、沖縄まで来てねぇ…なんて思いが強くて。でも、なんだか気になる趣だったのです。後で聞いてみれば、開業22年という古参店でした。






入り口から想像していたよりずっと広い店内、木をうまく使ってログハウス風(?)です。ランチメニューは5種類。その中から、"スズキのムニエルとポークカツ(900円)"を。いえ、間違いではありません。両方なのです。これに、サラダ、スープ、ご飯、飲み物がついてきます。ホントですってば。
スープには、ハーブ系スパイスがうまく使われていて、うっすらかいた汗に心地良く効いていきます。ちょっと暑い日には、冷房はもちろんとしても、身体を感覚からス〜っとさせるにはこういうハーブ類がいいですね。そしてなにより、洋食とか居酒屋系沖縄料理店にありがちな、濃い味付けじゃないのが嬉しいです。スズキは、厚めの皮がパリッとしていて皮好きには嬉しいし。なかなかに、楽しい食事になりました。


最後に店名の由来をお尋ねしたのですが、お客さんが何度も来てだけるようにという願いと、おじぃの名前(りたん)を掛けたそうな。いやぁ、一度聞いたら忘れそうにありません。まだまだ石垣島も、奥が深そうですよ〜。

住所:石垣市大川174
電話:0980-82-0851
営業:11:30〜14:00(OS)/18:00〜21:30(OS)、火曜休み